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ダイナミックワールド

ロッキーとフィラデルフィア美術館
2014-03-7. 福田州平
フィラデルフィアに住む無名のボクサー。ボクサーとしての収入では暮らしていけなかった彼は、高利貸の取立てをしていた。しかし、彼は、ひょんなことから世界チャンピオンと対戦することとなった。世間一般からは勝敗があきらかと思われる試合。しかし、彼は、試合に臨むため過酷なトレーニングを開始する。彼を試合へと駆り立てたもの。それは、自分はクズではないということをリングで証明するためだった。

いうまでもなく、これはシルベスタ・スタローンの出世作、ロッキーのあらすじである。劇中のトレーニングで、石段を登りきり、石畳で軽くステップを踏みながら両手を挙げるシーンがある。このシーンを撮影したのは、フィラデルフィア美術館(Philadelphia Museum of Art)へと続く石段である。撮影で使われたためか、フィラデルフィア美術館前には、ロッキーの銅像がある。記念撮影の名所らしく、筆者が訪れたときも数名が像の前で写真をとっていた。もっとも、「おい、写真を撮らないか?」と呼びかけてくる人が像の前でたむろしている。『地球の歩き方』によると、チップをせびってくるらしい。

フィラデルフィア美術館の所在するフェアマウントパークで、1876年の5月から11月にかけて開催されたのが、フィラデルフィア万博である。来場者数が1000万人近くにのぼった大がかりなイベントだった。フィラデルフィア美術館は、この万博の歴史とちょっとしたかかわりをもっている。

ロンドン万博(1851年)の展示品をもとにしてできたサウス・ケンジントン博物館のように、フィラデルフィア万博の終了後に「ペンシルバニア博物館」設立の構想があった。その会場として目をつけたれたのが、フィラデルフィア万博で美術部門の中心となったメモリアルホールであった。そして、ペンシルバニア博物館は、1877年5月にオープンした。しかし、運営母体のいざこざ、また立地条件、収容物の保管状況およびスペースの問題などから、1890年代からペンシルバニア美術館はメモリアルホールから撤退し、あらたな建物を建てるべきだとの声があがるようになった。こうして、1928年にあらたな場所へと移転し、それを機にペンシルバニア博物館は、フィラデルフィア美術館と名前を改めた。

アメリカ屈指ともいわれるフィラデルフィア美術館は、市の中心部にあるシティーホールから見て北西の方向にある。筆者は、シティーホールから歩いて行ってみたのだが、けっこうな距離があり、疲れてしまった。この距離をロッキーは走ったのかと思うと、なかなか感慨深い。


参考文献
Giberti, Bruno. Designing the Centennial: A History of the 1876 International Exhibition in Philadelphia (The University Press of Kentucky: Kentucky, 2002)

フィラデルフィア美術館

ロッキー像の周辺