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アジアの一期一会

第15回 イランは世界で最も日本語が通じる外国(かもしれない)
2017-10-01. 小牟田 哲彦
 かつては、戦前に日本の統治下にあった韓国や台湾では、日本統治時代に日本語教育を受けた人たちが日本語を解するということで、旅行ガイドブックにも「30代以上の人なら日本語が通じる」などと書かれていた時代がある。だが、戦後70年以上を経て、韓国や台湾でも、日本統治時代に日本語教育を受けて流暢な日本語を解する世代は数少なくなってきた。

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ザンジャーンで工場経営に携わる元・在日イラン人男性(中央)。訪日して成功した1人のようだった。
 そうすると、日本国外で日本語が通じやすい国は、日系人がいる南米などを除けばもはやどこにもない、ということになりそうだが、2017年の時点で、概ね40代以上の男性に限られるものの、日本語で意思疎通ができる非日系人に出会う確率が他国よりずば抜けて高い国が、中東にある。ペルシャ語の国・イランだ。

 イランの旅行ガイドブックを開いても、言語事情として日本語が通用するとは一言も書いていない。イランが国家として日本語教育を特に推進していたわけでもない。だが、実際にイランを旅行してみると、観光地で客引きをする呼び込みでもないのに、流暢な日本語を話せる中年以上の男性に遭遇する確率が周辺諸国と比べて格段に高い。

 彼らの大半は1990年代初め頃、大挙して日本へ出稼ぎにやって来た訪日経験者である。当時、東京の上野公園や代々木公園にイラン人が大勢集まったり、都市部の街頭でテレフォンカードを売っていたイラン人がいたのを覚えている40代以上の日本人は少なくないだろう。当時、いわゆる西側諸国の中で、イラン人がビザなしで行ける外国は日本だけだったのだ。法務省の出入国管理統計によれば、1983(昭和58)年まで毎年5,000人ほどだった訪日イラン人は、1991(平成3)年には47,000人にも及んでいる。イラン・イラク戦争が終わり、兵役を終えたイラン人の若者が、仕事を求めてノービザで行ける日本へやって来たのである。

 その後、日本はイランとのビザ相互免除協定を停止したため、訪日イラン人は激減した。それから20年以上が経った今、イランには、かつて日本で働いていたという中年以上の男性が数多くいる。私がテヘラン駅で列車の切符を買おうとしたら、「千葉のうどん屋で働いていた」という男性が急に日本語で声をかけてきて、一緒の列車だと言ってペルシャ語オンリーの切符を代わりに買ってくれた。2人で特急列車に乗ったら、検札に来た車掌は「(東京の)水道橋で働いていたことがある」と言って、頼みもしないのに乗り越し運賃をタダにしてくれた。

 自分自身は訪日経験がなくても、私が日本人だと知ると自分の携帯電話で友人を呼びだし、その友人が電話越しに「昔、日本で……」と日本語で私に話し始めるパターンが何度もあった。親戚や友人を見渡せば、訪日経験がある者が1人くらいいるのは珍しくもない、といった様子なのである。地方へ出かけて地元の工場の社長と昼食を共にしたときは、同席した訪日経験者の通訳によって、初めて直接話す日本人(私のこと)の言うことに興味津々、といった雰囲気であった。

 彼らが日本で実際に何をしていたのかは知る由もないが、総じて日本滞在時代の印象は良いようで、それがイラン全体の親日感の醸成に大きく貢献しているようにも感じられる。大日本帝国時代の日本語世代が近隣アジア諸国から少なくなりつつある現在、これから向こう20年くらいは、イランが隠れた日本語通用度の高い国であり続けるだろう。