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アジアの一期一会

第19回 フィリピンで出会った元・ジャパゆきさん
2018-02-01. 小牟田 哲彦
 島嶼国家のフィリピンでは、島々の移動でフェリーに揺られる機会が多い。大型フェリーでは船内にレストランがあるが、乗船客の等級によってレストランが分けられることがあり、3等船室と2等以上の乗船客とではメニューどころか場所も別々になったりする。

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マニラ市内の国鉄線路内を歩く。沿線にスラムが多い。
 フィリピン南部のサンボアンガからイロイロ経由でマニラへ向かう2泊3日の船旅で、上級クラス向けのレストランで相席になった若い女性が、私が日本人とわかると突然日本語で話し始めたので驚いたことがある。エスターと名乗る当時29歳の女性で、マニラ南部の郊外に家族と住んでいるが、半年ほど前まで鹿児島県にあるフィリピンパブで働いていたという。しかも、その前にも2回、新潟へ出稼ぎに行った経験があり、計3回の日本での出稼ぎ経験を持っていた。1980年代以降、東南アジアから出稼ぎ目的で訪日して水商売に従事する女性が「ジャパゆきさん」と呼ばれた時期があったが、彼女もその1人だったのだろう。日本語での会話は久しぶりよ、と言って、船内のサロンルームで夜遅くまで酒も飲まずにお茶だけで私と話し続けた。

 日本行きは彼女が自ら強く望んだが、母親には当初猛反対されたという。泥酔した客が絡んでくることもあったが、自分が働いていた店ではママさんがいい人で守ってくれたので働きやすかった、とのこと。仲良くなったお客さんと休日に遊びに行った思い出や、日本で好きになった食べ物のことなど、問わず語りにあれこれと話してくれた。総じて、日本で過ごした時間は楽しかったようで、それが言葉の端々から私にも伝わってきた。

 翌日、マニラに到着すると、「マニラ市内は危ないから、私が一緒についていってあげる」と言って、私と一緒にジプニー(米軍ジープなどを改造したフィリピン独自の乗合バス)で港から市の中心部まで行った。下車したのはフィリピン国鉄の小さなローカル駅のそばで、そこから長距離列車が停車する隣駅まで、歩いていく道がよくわからないので線路の上を2人で歩いた。日本人と一緒にマニラを歩いたことは何度かあるが、こんなスラムに近い線路の上を歩くのは自分も初めてだ、と彼女は苦笑いした。

 数キロ歩いてやっと到着した隣駅のホームに、串に刺した揚げバナナを売っている屋台があった。私が早速それを買い求めてその場で頬張り、「美味しいよ、一緒に食べない?」と言うと、エスターは「それを買って食べる日本人を初めて見ました」と言ってまた笑い、彼女の分も買おうとする私の手を静かに押しとどめた。日本のフィリピンパブの常連客は、フィリピンで地元客向けに売っている屋台のファーストフードなど口にしないのだろうか。

 まもなく、私が乗る長距離列車が到着。エスターはホームから私に手を振って見送ると、雑踏の中へ姿を消した。たまたま乗り合わせた船の中で知り合った日本人旅行者のために、自分のスケジュールを大幅に変更してマニラ市内をエスコートしてくれた彼女に再会することは、残念ながら恐らくもうないだろう。SNSなどなく、電子メールや携帯電話もフィリピンではほとんど普及していなかった時期の、まさしく一期一会の思い出である。