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アジアの一期一会

第11回 韓国で日本時代の級友や戦友の消息を尋ねられる
2017-06-01. 小牟田 哲彦
 紀行作家・宮脇俊三が昭和62(1987)年に初めて韓国を旅したとき、慶州郊外で見知らぬ初老の韓国人男性に突然日本語で話しかけられた場面が、『韓国・サハリン鉄道紀行』(平成3年・文藝春秋)に描かれている。「戦時中に徴用で名古屋に連れていかれたが、日本人が親切にしてくれたから、恩返しに今日はあなたを案内します」と言われて著者の方がキョトンとしたまま、一日一緒に旅をして仲良くなった、という内容である。

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江原道にある漁村の裏道。この近くでかつての朝鮮総督府鉄道局のSL機関士に出会った
 一読者の私は当時、こんなことは極めてレアケースなのではないかと勝手に想像していた。だが、実際に自分が韓国へ旅行を繰り返すようになると、ちっとも珍しい話ではないということを体験的に理解するようになった。

 ソウルの街の中で出会った李さんは、長く韓国陸軍の憲兵として勤務し、自宅に大統領名の勲章も飾っているが、戦時中は日本海軍の志願兵だったという。かつて朝鮮総督府鉄道局で蒸気機関車を運転していたという元鉄道員の姜さんは、戦時中に支那派遣軍の一兵卒として中国大陸にいたときの写真を、自宅のアルバムに大切に貼っていた。中朝国境の街・新義州出身だという崔さんは、学生時代に机を並べて一緒に勉強した日本人の級友との思い出を懐かしそうに話してくれた。釜山からソウルへの特急列車の車内で隣席に座っていた金さんは、朝鮮の詩と漢詩、それに日本統治時代に学校で習った和歌が好きだと言って、ハングル、漢字、それに漢字かな混じりで三種の詩や歌をたくさん書き連ねたノートを自慢げに披露し、「東風吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花〜」と菅原道真の歌をそらんじてみせた。

 彼らと仲良くなり、若年ながら日本統治時代の朝鮮半島の話題にある程度ついていけそうな日本人と認識されると、次の段階(?)で「日本時代に仲が良かった日本人の友達がいたのだが、消息を調べることができないか」という依頼を受けることが結構ある。学生時代のクラスメイトの場合が多いが、前記の姜さんからは、中国出兵時の写真に軍服姿で並んで写っていた日本人の戦友の消息を尋ねられた。戦後、日本人は朝鮮半島から引き揚げてしまい、その後の朝鮮戦争で国土が混乱したことも手伝って、日本人との交流は途絶えざるを得なかったのだろう。

 しかも、日本統治時代の良き思い出を公然と語るのが憚られたらしい戦後の韓国社会では、誰かにそうした頼みごとをするのも難しかったのかもしれない。私が相手を探すうえで、「当時の自分は『山本』と名乗っていた」というような当時の自分の身元に関することも教えてくれるのだが、日本軍に志願していた事実も含めて、韓国ではタブーに近い話題ではないかと思われる。

 マスコミや書籍で語られないナマの日本時代の朝鮮の様子を聞かせてくれたせめてもの恩返しとして、私はそうした依頼を受けるたびに、帰国後に消息探しをしてきた。だが、戦後半世紀以上が経過し、学校の同窓会や戦友会の多くは会員の高齢化によって解散あるいは休会状態にある。一個人が余暇に片手間でやる作業には限界もある。

 ただ、調査結果は芳しくなくとも、戦友会や母校の資料、今は行けない北朝鮮の故郷の戦前の写真などを国際郵便で送っただけで、一様に、昔を思い出しながら書いたらしい日本語による丁重な礼状が返ってくる。その後も日本語でメールのやり取りや、クリスマスカードの交換を続けている人もいる。一期一会の年配者も含めて、私が出会った”日本語世代”の市井の韓国人たちは、表立って声高に主張などしないけれども、その人なりの「懐かしい日本」を終生心の中に抱き続けるのだろうと思われる人生の先輩ばかりである。