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チャイナ・スクランブル

習主席肝いりの河北省新都市建設プロジェクト「雄安新区」は実現可能か(上)
2017-06-06. 日暮高則
中国の党中央と国務院は4月1日、河北省中部の内陸地区に新しい経済都市「雄安新区」を創設すると発表した。1980年代の深セン(土へんに川)経済特区、90年代の上海浦東地区に次ぐ壮大な都市建設プロジェクトで、国営新華通信社も「深セン(土へんに川)、浦東に続く全国的な意義を持つ新区」と伝えている。今秋党大会以降も引き続き党内の求心力アップを狙う習近平国家主席の実績づくりとも見られるが、これまで明確な反対意見は出ていない。むしろ発表のあと、一攫千金を狙う投資家たちが「雄安に行って不動産を買おう」とすぐに動き出したほか、プロジェクト関連企業株が急上昇し、取引停止になったりした。ただ問題なのは、大手銀行が不良債権を抱えている中で、新たな投資資金を生み出せるのか、さらなる不動産バブルを引き起こすのではないかという点。2006年、「東方のマンハッタン」として鳴り物入りで建設がスタートし、その後ゴーストタウン化した「天津浜海新区」の二の舞にならないかとの懸念の声も出ている。

新華社によれば、新都市が建設されるのは、河北省中部の雄県、容城県、安新県やその周辺地域で、「雄安新区」と名付けられた。雄安新区は北京の西南方120km、天津のほぼ西方110kmの距離。天津は北京の東南方121kmにあるため、新地点を線でつなげるとほぼ正三角形の形となる。雄安新区の初期開発面積は100平方キロ、中期計画では200平方キロで、将来的には2000平方キロという広大な地域の開発を目指すという。そのときは三都市トライアングル内での開発も進められるため、北京、天津、雄安の三都市を連結させるメガロポリスが形成される見込みだ。

もともと北京市、天津市と、両都市を包み込む河北省の一体化発展構想があり、その目玉として同省中部に核となるべき新都市の建設が計画されていた。北京市はすでに大都市となって人口過密状態であり、大気汚染公害や水不足、慢性的な住宅不足に悩まされている。このため、習主席は14年暮れに開催した党中央経済工作会議で、「北京の非首都的機能の分散配置を図り、北京の人口密度を引き下げる必要がある」と強調した。その発言の裏には、現在農村地域であることからほぼフリーに土地利用の絵図面を描くことができ、しかも北京に近い雄安新区を有力候補地として念頭に置いていたフシが見られる。

雄安が新都市建設候補地に選ばれた理由だが、人民網などによると、第一は交通の便の良さだ。近くに、北京−広州、香港間の大動脈である京広鉄道や京九鉄道があるほか、東方に山東省の省都済南方面へ、西方には河北省の省都石家庄や河南省の省都鄭州方面へ、さらに天津市にも通じた3つの高速道路が走っている。また、北京―天津間にある河北省廊坊市には2019年開港予定の北京新空港「大興国際空港」が建設中であり、ここからも約55キロメートルと近い。周辺地勢を見ても、雄安新区は華北大平原の真っただ中にあって土地のならしは要らない。淡水湖・白洋淀や多くの河川もあり、水資源も豊富だ。インフラ建設には申し分ない条件がそろっている。

習近平主席の過去5年間の執政業績を見ると、これまで経済関係でめぼしいものはない。小平氏は1980年代初め、深セン(土へんに川)、珠海、汕頭、厦門(アモイ)の4つの経済特区の建設を進め、特に香港と深圳河を挟んで対岸にあった農村地帯の深セン(土へんに川)を大都市に変貌させた。90年代には、江沢民国家主席が上海・黄浦江の対岸の田園を開発し、浦東新区として金融センター、高級商業・住宅地区に変えたことは有名だ。習主席は、江両氏の都市建設のように目に見える形の業績を残したいという思いが募っていたようで、それが雄安新区建設のきっかけになったとも言われる。

同建設プロジェクトを担当させるため、習主席は、新都市建設で経験豊富な技術官僚の許勤氏を新しい河北省長に就けた。彼は1961年、江蘇省連雲港市生まれで今年56歳。21年間、国務院国家発展改革委員会に勤務したあと、2008年、常務副市長として深セン(土へんに川)市に異動。2010年に市長に昇格し、7年近くそのポストを務めた後、昨年12月30日に深セン(土へんに川)市書記に就いた。一級行政区並みの都市で利権も多い深セン(土へんに川)市は歴代、江沢民元主席系の幹部が書記を務めており、彼の権力基盤だった。このため、習主席が自らの影響下にある発展改革委の幹部を同市に送ったのは江氏の基盤を壊す目的があったからと見られたが、その許勤氏を3カ月で異動させたのは極めて異例で、雄安新区建設にかける習氏の期待が大きいことを裏付ける。

もちろん、上部で監督するのは国家発展改革委員会で、何立峰主任が指揮を執る。何氏は福建省のアモイ市や同省政府で習近平氏の部下であった股肱の臣。アモイ市書記から天津市に移り、同市副書記、濱海新区書記としてニュービジネスセンター「濱海新区」の建設にも携わっている。また、驚くことに雄安新区プロジェクトには、かつて上海市長として浦東新区の開発にも関与した徐匡迪氏(現中国工程院名誉主席)も参画している。徐氏は、江沢民氏が率いる上海閥に属さず、それ故に市長のあとに閑職に追いやられていた。ただ、その行政能力は高く評価されており、習氏もそれを無視できず、今回顧問格で招いたようだ。徐氏は「雄安新区の建設によって、北京の大都市病を緩和することができる」と述べ、上海市の次は北京市“再生”とばかりに雄安建設に意欲を示している。