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華北の「外国」建築をあるく

第31回 天津の旧金融中心:解放北路沿いの旧フランス租界
2018-02-28. 東福大輔
天津駅の海河側ファサードは2008年の北京オリンピックに際して改修を受けたが、そのデザインは既にレトロ・フューチャー感が漂い、周囲の新しい建物に埋没してしまっている。駅の傍らには「世紀鍾」と名付けられた時計塔の建つ巨大なロータリーがあるが、それを回り込んだところにあるのが「解放橋」という橋だ。この場所には20世紀初めから鉄骨橋が作られていたが、現在の跳ね橋となったのは1927年の事である。時代を反映して、鉄骨にはリベットが隈なく打ち込まれていて、小ぶりな橋ながらも重厚なデザインが異彩を放っている。ルーブル宮の巨大なコピー建築の「津湾広場」を左手遠くに眺めながらこの橋を渡ると、町並みは巨大な建物による仰々しいものから、瀟洒な歴史的建物が立ち並ぶものへと一変する。ここから始まる「解放北路」は、旧フランス租界の中心であった。

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解放橋。鉄骨製の跳橋で、現在も車が行き交う。
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旧インドシナ銀行。現在は一部が西洋美術館として使われている。
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旧塩業銀行、現在の中国工商銀行。
アロー戦争(1856-1860)では、フランスはイギリスと連合軍を組み、北京の円明園を略奪して焼き払った。これらの国が清朝を恫喝して得たものは天津港開港の条項を含む不平等条約で、港とともに整備されていったのが租界である。そんな成立の経緯から、アロー戦争を主導したフランスとイギリスの租界は天津駅の南側、海河を渡ってすぐの一等地にある。日本租界のところでも触れたが、特にフランス租界には主要な銀行や大きなホテルがおかれ、かつては一番賑わう租界だった。

解放橋を渡りきったところには旧インペリアルホテル(旧裕中飯店)がある。現在は中国系の安価なビジネス・ホテルとして改装されて営業しているが、エントランス・ホールの連アーチや、やたらと高い室内の天井から、かつての姿を想像することができる。大抵のクラシック・ホテルはいわば高級ホテルであるが、ここは決して高級と呼ばれるものではなく、おそらく小さなビジネス目的の旅客に利用されたものだろう。日本では、一等地に建つ歴史的建造物は、ファサードだけ残しその内側に高いビルを建てるという「腰巻ビル」とも揶揄される開発手法をとることが多い。ところが天津の場合、高級なものでなくても形態や用途を変えずに駅前の一等地で営業しており、建物がまるで手付かずの状態のように保存されている。これにはもちろん、その観光資源としての質に気づいて保存に動いた関係者の努力もあるだろうが、先進国の反省点を生かすという文字通り「後進国」としての利点もあるように思う。

解放北路の先、赤峰道との交差点に建つのが旧インドシナ(東方匯理)銀行である。面積の上では決して大きな建物ではないが、建物の端部に3つの塔をもつ豪壮なバロック建築である。インドシナ銀行は中国の雲南鉄道への投資を行った植民地銀行として知られているが、その一方で中国租界に対する貸付業務も行っていたという。開発の当事者として、このような租界の中心に鷹揚な建物を建てることができたのだろうか、と想像する。

旧インドシナ銀行から見て、左手の赤峰道の先に顔をのぞかせているのが旧塩業銀行である。塩業銀行は袁世凱の血族によって設立された、いわば財閥系の銀行である。この建物は当時の他の銀行建築と同様、街路沿いに巨大な列柱を並べているが、面白いのは建物の端部を隅切りとし、そこにメインの入口を設けている点である。もともとこの場所は海河沿いであるため、建物の正面をフランス租界中心部に向けているのだと思われる。

この付近には旧横浜正金銀行、旧中法工商銀行などの多くの銀行建築が残されており、20世紀の初めごろには中国の金融の一大中心地だった。列強各国が巣食う金融の中心を「解放」したということは中国自体を「解放」したこととほぼ同義ということだ。その意味では、新中国政府がメインストリートを「解放路」と改名したのも理解できる。

<旧フランス租界>天津市和平区解放北路付近。天津駅から徒歩10分、または地下鉄3号線「津湾広場」駅下車。
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