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連載:アジアの停車場

アジアの停車場〔63〕
龍川駅(北朝鮮)……謎の爆発事件で世界に名を知られた田舎駅

2013-06-01. 小牟田 哲彦
 北朝鮮で外国人が比較的利用しやすい鉄道区間が、北京やモスクワへ向かう国際列車が通過する平壌〜新義州間225kmである。もっとも、国際列車の乗客に途中駅での乗降が認められる余地はほとんどなく、したがって、わずかな停車駅でさえ外国人旅行者にはほとんど縁のない地方都市の小駅でしかなく、通過駅の大半は北朝鮮国外の人間がホームに立ち降りることすらできない無名の田舎駅である。

爆発事故前の龍川駅構内。
左手に見えるのが日本時代からの給水塔
 2004年4月22日、そんな影の薄い田舎駅の一つが突然、世界中から注目を浴びることになった。中国国境の新義州から15kmのところに位置する龍川駅で硝酸アンモニウムを積んだ列車が大爆発を起こし、駅を中心とする周辺地域の広範にわたって大勢の死者や負傷者が発生した。国内の鉄道事故がほとんど報道されない北朝鮮にあって、事故の翌々日には公式報道され、国連や諸外国からの救援策も受け入れるという異例の展開を辿った。

 この事故は、当時の北朝鮮の最高指導者だった金正日総書記が乗る専用列車の通過直後に発生したことから、当初は専用列車の爆破を狙ったテロとの見方も浮上したが、真相はもちろんわからない。事故からわずか6日後に列車の運行は再開され、壊滅状態だった駅周辺の町並みも半年以内に復興した。

 龍川駅での事故がこれほど大きく取り上げられたのは、外国人が利用する国際列車や最高指導者専用列車が通過する区間に位置していたという地理的事情が大きいが、開業当初からそのような幹線ルート上の駅であったわけではない。もともと龍川駅は日本統治時代の昭和14年11月に、新義州から延びる多獅島鉄道という私鉄路線の中間駅として開業した。当時は楊市という駅名だった。この私鉄が翌昭和15年に楊市から南東方面の南市(現在の塩州)までの路線を開通させ、戦時中の昭和18年に新義州〜楊市〜南市間が国に買収されて楊市線となったことで、それまで山間部を経由していた朝鮮半島を縦断する幹線ルート・京義本線の短絡線的役割を果たすようになったのだ。戦後の北朝鮮がこの短絡線を正規の幹線とせず戦前の幹線ルートを維持していたら、楊市から名を変えた龍川駅で同じ事故が起こっても、これほど大きな国際ニュースにはならなかったはずである。

 ヨーロッパへと続く大陸横断鉄道を形成し、華やかな豪華国際列車が駆け抜けた日本統治時代の栄光を知らない龍川駅には、その日本時代に建てられたと見られる蒸気機関車用の給水塔が21世紀になっても線路脇に建っていた。駅構内の南側に位置しており、爆発事故の中心部から離れていたことから、駅周辺の町並みを吹き飛ばした爆風の影響が小さく奇跡的に倒壊することなく残った。それもまた、事故直後に海外へ配信された数多くの現場写真などから判明したのである。この給水塔が無事だったという事実から、細長い駅構内のどのあたりで爆発が起き、どちらの方向に強い爆風が向かって被害を拡大させたかが早い段階で推測できた。無用の長物と化していた日本時代の給水塔の存在が、思いもかけず役に立ったのであった。