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アジアの今昔・未来

第435回
最大手鉄鋼メーカーの君津製鉄所が取り持つ縁

2017-12-14. 伊藤 努
本欄では時々、「人の縁」と言えるような人間のつながりの不思議さや世の中の意外な狭さを実感するエピソードを取り上げているが、最近もそれに似た興味深い経験をしたので、ご紹介したい。

登場人物は、大学時代の同級生ながら筆者の勤務先でドイツ語の防衛・軍事情報の翻訳などをお願いしている女性のAさん、もう一人は以前の職場でベトナムに関するニュースサービスで事業パートナーだった人生の大先輩のH氏だ。たまたま筆者が仲立ちする形で、面識が全くなかったAさんとH氏を結びつける「赤い糸」があることが分かった。わが国最大手鉄鋼メーカーの君津製鉄所(千葉県君津市)である。

Aさんにドイツ有力誌の関係記事の翻訳を定期的に頼むようになって2年近くがたち、仕事のやりとりで頻繁にメールを交わしているが、時々、企業関係の通訳の仕事もこなしているAさんから、「今度、鉄鋼会社の君津製鉄所で電話会議のドイツ語通訳を頼まれ、君津に行きます」という事務的連絡が入った。

鉄鋼メーカーの君津製鉄所と言えば、ベトナム関係の経営コンサルタント会社を経営していたH氏が独立する前に、鉄鋼マンとしての新入社員時代の1960年代前半、この製鉄所の設計業務に携わった話をうかがったことがあり、その時に聞いたH氏ご本人の昔語りを本欄で「若葉の季節の代々木倶楽部」(第369回=2016年6月掲載)とのタイトルで紹介した。代々木倶楽部が駆け出し時代の仕事場だったのである。

君津での通訳の仕事に向かうAさんにメールを送り、人生の大先輩として敬愛するH氏の人柄や経歴を簡単に紹介しながら、H氏が若き頃、当時は会社の研修施設だった新宿に近い代々木倶楽部で上司らと君津製鉄所の設計業務に連日連夜携わったことを伝えた。

大事な仕事を控え、準備・移動などで忙しい中を筆者のメールに目を通してくれたAさんは、電話会議の通訳の仕事が終わった後に時間をつくって君津市内を散策し、その印象や町の様子を綴ったメールを後日送ってきてくれた。簡潔な君津報告記には、町のシンボルである小高い丘にある人見神社の由来や歴史から、1960年に始まった八幡製鉄所の進出、地場産業だったノリ養殖や漁師の町から製鉄業の町に変貌していった歩みが記され、Aさんのメールを早速、H氏に転送した。すると、H氏からも以下のような読後感がメールで届き、Aさんに転送した。

「メールを大変興味深く読ませて頂きました。貴兄に、協力パートナーのAさまがついているとは、うれしい限りです。Aさんの君津旅行記を拝見させて頂き、とても懐かしかったです。

もう半世紀前の自分に戻れました。いろいろなことが脳裏によみがえってきました。そうそう、当時私がこの製鉄所建設に関わった頃、すでに高炉、原料置き場、岸壁などは出来上がっていましたが、周辺の様子はAさんの旅行記に書いてある通りでした。すなわち、アメリカのテキサスのど真ん中に突然巨大な建造物が現れ、周辺住民はびっくりしました。私たち無法者が、何とか製鉄所マンとして認めてもらえるようないろいろな行事にも参加しました。当時、木更津芸者(お富さんなど)に惚れたのも昔の思い出です。

近く、当時のわれわれの根城だった代々木倶楽部にAさんをお連れしませんか?きれいな庭を観ながら、食堂で一杯やりましょう」

謙虚な人柄のAさんからは、「Hさまが私の拙い文章から、当時を懐かしんでくださったのなら、うれしい限りです」との返信メールが届いた。

最大手鉄鋼メーカーの君津製鉄所をめぐるメールのやりとりはしばらく続くのだが、製鉄所の隅々まで知るH氏を驚かす情報がもう一つあった。それについては次回で紹介したい。