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アジアの今昔・未来

第445回
文化大革命の時代を偲ぶ烏鎮の歴史資料館

2018-03-14. 伊藤 努
前回の本欄で取り上げた中国浙江省にある水郷の観光地・烏鎮の巨大コンベンションセンター(会議施設)のすぐ近くに、昔からの農村風景そのままの村の保存地区があるというので、地元当局者に案内してもらった。保存地区のすぐ横を大きな運河が流れているが、地区内は大半が田畑や雑木林となっており、その中心部に平屋の共産党委員会の建物があった。建物の看板には「党委」と書かれており、町・村の行政単位である烏鎮の党本部なのだった。

党本部を中心とした周辺地区は、開発などが規制され、昔のままの田園風景を残した観光地ともなっており、この地方の昔の生活記録や風景写真などを残した資料館が置かれていた。資料館には、1960年代から70年代にかけて中国全土で吹き荒れた文化大革命中の紅衛兵や地方に下放された若者らの写真に交って、当時の指導者である毛沢東や周恩来らの執務中の写真などが壁に飾られていた。毛沢東を支持し、文化大革命に基づく新たな農村づくりに熱意を燃やしている往時の青年男女の目の輝きがまぶしく見えるような写真も多い。記録写真の展示を見る限り、文化大革命を礼賛している印象も受けた。

ただ、今になって振り返ると、中国を未曾有の大混乱に陥れた文化大革命は、毛沢東が共産党内の権力闘争(奪権闘争)の一環として発動した革命劇だったのだが、前代未聞の党内闘争だったこともあって、その当時はわが国でも毛沢東の政治的狙いや大きな犠牲を生んだ革命の実相などについては長くベールに包まれていた。毛沢東がこの党内闘争で奪権に成功し、後継者に指名していたナンバー2の林彪・党副主席(当時)が1971年に亡命を企て、モンゴルで搭乗機の墜落で謎の死を遂げるといういわゆる林彪事件も起き、林彪は「反革命主義者」の烙印を押されて失脚したのだった。

以来、中国を統治する共産党の歴史の中では、失脚した反革命主義者の林彪は完全に抹殺された政治指導者だと思い込んでいたのだが、何と、今回訪れた烏鎮の農村保存地区にある資料館には、毛沢東と一緒に写る林彪の写真が何枚か壁に掲げられていたのである。筆者と一緒に訪れたジャーナリスト訪中団のメンバーはいずれも中国に駐在した経験のある中国専門家ばかりであり、一行の面々も林彪の写真が堂々と飾られていたことに大いに驚いていた。

帰国後、このことを現代中国論が専門だった大学時代の恩師のゼミの先輩(元新聞記者)に紹介すると、電子メールで次のような返事が戻ってきて、また驚く羽目となった。

「中国旅行が有益で何よりでした。
 2016年10月に私も青島から孔子・孟子の故郷、曲阜を回って上海に出るツアーに参加した折、孔子廟の門前市に並んだ土産物店で、毛沢東と林彪がそろって笑顔で写っている写真、雑誌、新聞類をたくさん見かけました。『批林批孔』のターゲットにされた総本山で、これ見よがしに『毛・林』の蜜月体制時代を示す資料が大量に出回っているところに、中国人のしたたかさを感じました。その『毛・林』写真を喜ぶのは外国人(特に報道陣?)で、中国人旅行客は見向きもしないようでした」

共産党一党支配の中国の政治情勢分析は難しいと改めて実感した次第だが、林彪の写真掲示の件は別にして、文化大革命よりももっと近い時代の1989年の天安門事件で失脚した趙紫陽・元総書記(故人)となると、まだ政治的には極めて微妙で、歴史的に抹殺された状況が今も続いている。