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アジアの今昔・未来

第442回
あっけなく崩壊した南ベトナム

2018-02-21. 直井謙二
ベトナム戦争末期、南ベトナム政府のあっけない崩壊は様々な報道機関が伝えている。北ベトナムとの間でパリ和平協定を結んだアメリカ軍は1973年に撤退したが、南ベトナム政府は依然として対決姿勢を崩さず、戦闘は各地で続いていた。アメリカが再介入することはないとの確信を持った北ベトナムは1975年3月初めに統一に向けて全面攻撃を開始した。

1か月後には中部高原の都市バンメトートが落ちた。当時戦争を指揮していた北ベトナムの幹部はバンメトートを落としてもサイゴン陥落まで2年以上かかると見積もっていたと語っていた。北ベトナムの軍も予想をしなかった速さでコンツム、プレイクが落ち、北ベトナムの幹部もようやく統一が近いという確信を持ったという。南ベトナム政府は軍が急速に総崩れになっているという情報をつかんでいなかった。グエン・バン・チュー元大統領ら元南ベトナム政府幹部や親米の市民が我先にアメリカに逃げようとする動転ぶりがそれを裏付けている。

2年ほど前、旧南ベトナム大統領官邸を見学した際、南ベトナム政府の幹部が戦況を把握していなかったことを改めて確認した。旧大統領官邸は「統一会堂」と名を改め一般公開されている。政府高官の優雅な生活を支えた豪華な宴会室や娯楽室とは対照的に崩壊直前に幹部の逃亡に使われたヘリコプターが屋上に無残な姿をさらしていた。

館内の1枚の写真に目を奪われた。南ベトナムに赴任した日本の人見宏大使が信任式に臨んでいる様子を写したもので日付は1975年4月18日だ。(写真)式の12日後には南ベトナムは消滅する。日本政府も南ベトナムの早期の崩壊を予測できていなかった。

誰もが予想出来なかった速さで南ベトナムが崩壊した理由はいくつかあるようだ。そのうちの一つは「統一会堂」や内部の写真が語っているように政府の幹部が戦況を把握せずアメリカの支援が無くなったのに戦線を拡大しすぎたことだ。太平洋戦争における旧日本軍にも似ている。戦争末期、守勢の旧日本軍は戦力を無視した絶対防衛圏を設けたが、早期に突破され防衛圏の外側の兵力は取り残された。中部の主要都市バンメトートが落ちたことで北部のダクトー、コンツムそれにプレイクで待機していた南ベトナム軍は首都防衛に向けた退路を断たれ戦力にならなかった。アメリカに支援を要請したが、政治的にアメリカは再び参戦できる状態になかった。南ベトナムも旧日本軍同様異例の速さで崩壊した。