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ベトナム 生活図譜

第7回 歴史を刻むハノイの橋
2017-09-19. 竹森紘臣
ハノイには紅河(ソンホン)がながれている。19世紀のおわり、フランスはアジア戦略として、中国奥地を狙っていた。紅河を遡行してその源泉である中国奥地にいたるため、ハノイはフランスにとって戦略的な要所であった。ベトナムの河川といえばタイ、カンボジアからベトナム南部に流れるメコン川が有名で、熱帯雨林特有の大きなくねりをもって雄大に流れる様子を想像されると思うが、紅河などハノイのある北部の河川は日本の大きな川とその規模やかたちはそれほど変わらない。この紅河はハノイの中心部に4つの橋をもつ。

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ロンビエン橋(ハノイ、ベトナム)
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ニャッタン橋(ハノイ、ベトナム)
もっとも有名で、もっとも古い橋はロンビエン橋(写真1)である。1887年に仏領インドシナ連邦が成立して以後、フランスによってベトナム国内の交通インフラが整備された。鉄道はその目玉のひとつで、ロンビエン橋はハノイから中国雲南省を目指す鉄道の鉄道橋として1889年に着工し1902年に完成した。建設当時の総督の名前をとってドゥメール橋と名づけられたが、のちにベトナム政府によりロンビエン橋に変更されている。鉄骨のトラス(細い鉄の線形部材を組合わせた構造)で全長は1700m。構造の優美さがパリのエッフェル塔に似ているといわれ、設計者はエッフェルではないかと考えられていた時期もあったが、橋にはフランスのダイデ&ピーユ社の建設銘版が残されており、今では建設は彼らによるものであるといわれている。建設当時は鉄でできた巨大構造物に、ハノイのひとびとはさぞ驚いたことだろう。この橋はフランス統治時代の歴史的な遺産であるが、ベトナム戦争の遺産でもある。橋の中央部分のトラス構造が爆撃によって破壊され、今もその部分が失われたままである。橋脚にも爆撃の痕がみられ、戦争の激しさを今も物語っている。現在でも鉄道橋、バイク専用路として利用されている。夜には夕涼みのために多くの市民がおとずれ屋台もでる。休日には写真撮影スポットになり、今でも市民に愛されているハノイの街のシンボルのひとつだ。

ロンビエン橋の上流にはタンロン橋と呼ばれる橋がある。全長が3250m、二層の鉄骨トラス構造で、下の層は鉄道とバイク専用路であり、上の層が自動車専用道路となっている。ハノイの玄関口であるノイバイ空港から南に伸びる幹線道路に接続し、空港から市内へのアクセス道路として長く利用されていた。1974年から中国の設計、支援により建設がはじめられた。その後、1977年に中国とベトナムの関係が悪化し、中国がこの工事から撤退をしてしまった。1979年には中国とベトナムの国境付近の紛争、中越戦争が起こることになる。その後、橋の建設は1978年からソ連がその工事を引き継ぎ、1982年に部分的に開通した。開通後も工事は続けられ完了したのは1985年で、完成までに総工期11年の歳月を要した。1973年のパリ和平協定後、共産圏の影響がさらに強くなるなか、中国とソ連という大国に援助をされたが、最終的には規模を縮小するなど結果としてはあまりうまくはいかなかった。

タンロン橋が完成した1985年と同じ時期に、もうひとつの橋がロンビエン橋のすぐ下流で開通した。チュンズオン橋である。ベトナムではじめて、設計、施工ともにベトナム人独力で完成させた橋といわれている。前述のふたつの橋と同様の鉄骨トラス構造で、全長1230mと少し小ぶりだ。使用されている鉄骨の材料がロンビエン橋よりとても大きく、繊細なデザインのロンビエン橋にくらべるとすこし無骨に見える。自動車とバイクの専用の橋で、ロンビエン橋の交通渋滞の緩和のために計画された。80年代にはいるとベトナム戦争後の混乱の状態から徐々に国を立て直そうと自国の産業を育てることが目標となった。この橋の建設もその一部であるが、その規模は限定的であった。技術の面でも資金の面でも、当時の先進国には遠く及ばなかった。

2015年にはロンビエン橋とタンロン橋の間に、ニャッタン橋(写真2)が完成した。全長は3755mで東南アジアでは最大級の橋梁である。アルファベットのAのようなかたちをした主塔からケーブルで吊られている。ベトナムでは1987年のドイモイ政策(市場経済開放)以降、交通や都市のインフラに関する投資の状況が変化する。社会主義国からの援助だけでなく、日本、アメリカ、ヨーロッパ各国からのODA(政府開発援助)をおおく受け入れ、その資金や技術でたくさんの道路や橋などが建設された。ニャッタン橋は日本の援助によって建設され、設計、施工ともに日本の会社が行っている。橋の北端から空港を結ぶ道路も日本の支援で建設されており、空港からニャッタン橋に乗り入れるまでの道のりは、日本の郊外の道路をイメージさせられる。

このように4つの橋は建設された年代の政治や技術、デザイン思想がそれぞれに反映されている。それがハノイの風景をすこしずつ変えつづけているのである。
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ハノイ市内の橋