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ベトナム 生活図譜

第15回 ベトナムの鉄道-昆河線
2018-05-24. 竹森紘臣
この数年間、ハノイ市内でもホーチミン市内でも、地下鉄やモノレールなどの都市鉄道の整備工事が行われていて、高架線路ができたり、地下鉄工事のために区画整理されたり、街路樹が工事のために伐採されてしまったりと、街並みが大きく変わりつつある。ベトナムの主要都市の交通手段はバイクと車が中心であるが、ここ数年の経済成長にともなって自動車の数がすごい勢いで増えている。おのずと交通渋滞が大きな問題になっており、効率的な都市内輸送手段の登場が待たれている。また都市部への人口集中によって、郊外で住宅地が次々と開発され、都市部と郊外をつなぐ交通整備も急務となっており、ベトナム政府や国内企業だけでなく外国の政府や鉄道会社もその開発に乗り出している。ハノイ市における都市鉄道プロジェクトは9路線が計画されている。この都市鉄道計画の一部にハノイ駅の建替計画があるが、10年ほど前から計画案が何度か作成されているようだが現在にいたっても最終案は公表されていない。

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インドシナ雲南鉄道会社(ハノイ、ベトナム)
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ハイフォン駅(ハイフォン、ベトナム)
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ハノイ駅(ハノイ、ベトナム)
ハノイ駅は1902年のフランス統治時代に、中国雲南省の昆明と外港があるベトナムのハイフォンをつなぐ拠点駅として、フランスがつくったインドシナ雲南鉄道会社によって建設された。昆明は中国南部の都市でミャンマーやラオスの国境にも近く、交通や軍事の要所であった。フランスにとって昆明は中国進出への足がかりとして戦略的に重要な都市であり、また鉱物資源がとれるということでもこの場所と外海につながる港をつなぐ交通手段を必要としていた。ハノイ駅の駅舎は建設当時はフレンチコロニアル様式で、両翼が大きく開かれた立派な建物であった。ハノイ駅のすぐ近くにあるインドシナ雲南鉄道会社本社ビル(現労働組合本部ビル、現在修復工事中)(写真1)の建物も周囲の同時代のオフィス建築に比べて非常に大きく、当時の鉄道計画への投資の大きさを物語っている。1900年ごろに昆明からはじまった路線工事はまずハノイまで至る。中国側ではこの路線を昆明とハノイ(河内)の頭の漢字一文字ずつをとって昆河線と呼ばれている。さらにハノイからハイフォンまでをつなぎ、最終的に中国の山奥の昆明と外港のハイフォンを結ぶ路線がベトナム初の鉄道として1910年に完成した。終点となるハイフォン駅は1910年に建設され、ハノイ駅同様にフレンチコロニアル様式で建設されており、プラットフォームの屋根には鋳鉄の壮麗な柱が使用され、長い路線の終着駅として現在もその駅舎が使用されている。(写真2)この路線は中越戦争のときに一時中断されたが、その後はまた回復されている。さらにベトナム戦争のときには爆撃により大きな被害を受けた。特にハノイ駅は1972年に爆撃で駅舎の中央の部分が失われた。ベトナム戦争終結後、1976年に爆撃された部分のみの改築が行われた結果、現在の駅舎は中央の部分が改築当時に大きな影響を受けていたソ連の建築様式が採用され、左右の部分にのみフレンチコロニアルのデザインを残すという、ベトナムの歴史が重層された独特な風貌をもつ建物になった。(写真3)

このような歴史を持つハノイ駅であるが、冒頭でふれたように建替案が浮上している。ハノイ駅に入駅舎建物自体のキャパシティも小さく、今後増加する利用者のための商業施設をつくることも難しい。現在のハノイ駅が中心部にあり、周辺の土地権利者との調整が難しいというのもある。現在のハノイ駅を残すべきか、残すとしたらどのように残していくかということも大きな論点となっているようであるが、ぜひ十分な議論を尽くしていただき、この場所と歴史にふさわしいハノイ駅をつくっていただきたい。
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昆明-ハノイ-ハイフォンを結ぶ路線図