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ベトナム 生活図譜

第12回 独立への希望の古城
2018-02-15. 竹森紘臣
ベトナムにはおおくの伝説や昔話がある。そのひとつの建国の伝説によるとベトナムの歴史は5000年前からはじまる。文郎国とよばれる国が紀元前2897年に興ったという。その国の王は貉龍君(ラック・ロン・クアン)と嫗姫(オウ・コー)という国生み伝説の神の子供であるといわれており、ベトナム人の間では建国の王、雄王(フンヴォン)として親しまれている。現在のフートー県にその拠点が置かれていた。文郎国は18代目まで続いたが、紀元前2世紀ごろに中国の秦の侵攻を防ぎきれずに滅亡してしまう。そのとき文郎国の国民の一部が指導者、蜀泮(のちの安陽王)を擁立し甌雒(オーラック)国を建国した。現在のハノイ北部に位置するドンアイン県に拠点を構えて、秦の更なる攻撃を防ぐために建設された城が古螺(コーロア)とよばれる城で、ベトナムで最古の城といわれている。螺(たにし)のように螺旋を描く城壁が特徴で螺城とよばれていた。

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コーロア城 城壁跡(ドンアイン、ベトナム)
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コーロア城 内城、安陽王神社と丸井戸(ドンアイン、ベトナム)
日本の城郭内でも敵の侵入を防ぐために螺旋状の通路を計画していたが、コーロア城も同様の考え方によって外敵の侵入を防ごうとした。城は三重の城壁からなり、一番外側の外郭は周長約8km、中郭は周長約6.6km、一番内側の内郭は周長約1.6kmほどで、それぞれ土塁と水堀からなる。内郭は長方形で王族の居住区であった。土塁の高さは5mから10m、幅は20mほどであったといわれるが、現在は2-3mほどの高さの痕跡が残されている。(写真1)城内の広さは約840haにおよぶ。この城が秦に攻められることは結局なかったが、秦から独立した中国の広東を拠点とする南越国の謀略により建国後の50年後の紀元前207年に滅亡したといわれている。現在、内郭には安陽王を祀るお寺が残り、そのお寺の前には謀略による悲劇で南越国の王子が身を投げたといわれる井戸が今も残っている。(写真2)

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古都ホアルー、レー・ダイ・ハイン王を祀る寺(ニンビン、ベトナム)
オーラック国の滅亡後、ベトナムは北属期とよばれる中国による支配を受ける時代に入る。長い1000年の北属期ののち、ハノイから南へ100kmほど離れた都市、ニンビンにホアルーとよばれる都がかまえられた。939年に中国支配から脱したのちに内乱状態になったベトナムを968年に再統一した丁部領(ディン・ボ・リン)によって建国された丁朝の首都である。その数年後には、当時の中国で政権を握っていた宋による攻撃の混乱に乗じて丁朝から黎大行(レー・ダイ・ハイン)が政権を奪った。だが、その政権もわずか29年で終焉を迎え、ホアルーが首都として機能したのは40年ほどで、首都は再びハノイに移った。ニンビンは中国の桂林と同じようなカルスト地形でタワーカルストが林立する風光明媚な土地である。2014年にはこのホア・ルーも含めた地域が世界遺産に指定されている。ホアルーは周囲のタワーカルストや北西を流れるホアンロン江を自然の城砦として利用し計画された。外城、内城の2重の城壁をもち、その範囲は300haほどに及んだといわれているが、現在では城壁は残されていない。ディン・ボ・リンとレー・ダイ・ハインを祀る寺があるが、17世紀に建替えられたものである。(写真3)

コーロア城も古都ホアルーも共通しているのは、中国からの攻撃をいかに防御するかというはっきりとした目的である。コーロア城の螺旋型の城壁、ホアルーの天然の要害は、城の形状としては安定した政権を維持する城郭というよりも実際の戦乱を戦い抜く砦としての機能が大きい。また、政略的にも中国との戦いが意識されている。このふたつの城がハノイから離れた場所に建設されたのは、ハノイにいる中国びいきの政治家たちの影響を避けるためという理由があった。長年にわたり他国の支配を受け「自由、独立、幸福」を国是とするベトナムのひとびとに、この2つの古城は今でも人気がある。
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ベトナム北部