topics & News to Home
霞山会とは
月刊『東亜』
講演会・シンポジウム
中国への研究留学
日本への研究留学
東亜学院中国語学校
東亜学院日本語学校
日中交流
霞山会館
交通案内
各種お申し込みForm

■中国マクロ経済分析
 慶應義塾大学駒形研究会

■霞山学生会
■リンク集
■サイトマップ
一般財団法人霞山会
東京都港区赤坂2-17-47
赤坂霞山ビル
TEL.03-5575-6301
FAX.03-5575-6306

アジアの一期一会

第50回 日本旅行の思い出を語ってくれた韓国初の陸軍大将
2020-09-01. 小牟田 哲彦
 韓国で日本統治時代を経験した年輩者と知り合うと、昔取った杵柄の日本語を流暢に使いながら戦前の思い出話を語ってくれるという体験に、2000年代初頭まではしばしば恵まれた。その思い出話の大半は、子供の頃や学校時代の生活、時には日本軍に志願兵として入隊していたときの戦友の話などが中心になるのだが、その中で、学生時代に日本へ修学旅行をしたときの話をしてくれた人がいる。韓国の初代陸軍大将を務めた白善将軍である。お会いしたのは2006年で、当時すでに85歳だったが、戦争記念館で「General Paik」(白元帥)として広い特別室で勤務されていた。

200811as.jpg
回顧録にいただいた白将軍の直筆サイン
 白将軍が大正時代に日本統治下の平壌で生まれ、満洲国軍中尉として終戦を迎え、朝鮮戦争では師団長として自ら先頭に立って敵陣に突撃し韓国軍の劣勢を挽回した英雄であることは、日本語で書かれた回顧録(『若き将軍の朝鮮戦争』2000年、草思社)で知っていた。が、軍事の専門家でない私が白将軍を訊ねたのは、軍の退役後に交通部長官(日本の運輸大臣に相当)を務めた時期にソウル地下鉄の建設計画を具体化し、現在のソウル地下鉄網の基礎を築いた経歴を持っていたからである。

 大手マスメディアに属する記者でもない若輩の一日本人旅行者が白将軍に会うのは簡単ではなかったが、いろんなツテを頼って面会の許可をいただいた。戦時の体験より交通部長官時代の話を詳しく聞こうとする私に、「どんなことが聞きたいの?」と不思議そうに逆質問した白将軍は、変わった面会者だと思ったに違いない。

 白将軍は平壌師範学校に在籍していた昭和14年(1939年)に、修学旅行で日本を訪れている。関釜連絡船で釜山から下関へ渡り、大阪、京都、奈良を巡り東京から日光まで足を延ばすなど、15日間に及ぶ大旅行であった。戦後、ソウルに地下鉄1号線が建設されたのは、白将軍が交通部長官在任中によど号ハイジャック事件が起こり、その解決時に日本の運輸大臣が「おかげさまで解決した、この返礼として何かできることがあれば」と申し出たことを受けて、白長官が日本側へ地下鉄建設の技術協力を要請したことがきっかけだった。

 他にも、下関〜釜山を結ぶ戦前以来の伝統航路である関釜フェリーが戦後初めて復活したのは、白長官時代の昭和45年(1970年)である。面会時には、関釜フェリーの開設記念式典の際の貴重な写真が多数貼られた私蔵のアルバムを準備してくれていて、他のページも好きなように見せてくれた。それまでにも、仲良くなった年輩の韓国人から昔の写真アルバムを見せてもらったことはあったが、白将軍もそんな韓国人たちと同じように、各ページの写真を指差しながら、「このときはこうだった……」と私に説明してくれるのであった。それらの写真を私のカメラで撮影することは遠慮してほしいと言われたので記録はしていないが、当時の日本の総理大臣だった佐藤栄作をはじめ、日本側の要人たちと白将軍が和やかに懇談しているシーンなどが印象に残っている。

 それらの写真には、通訳の姿は写っていなかった。白将軍の日本語が流暢であることは今ではyoutubeなどで誰でも確認できるが、私と話していても、日本人が話す日本語と寸分の差も感じなかった。かつての韓国の要人が、テレビカメラに映らない日本の要人との実交渉の場面では日本語を自在に操って細かい機微を感じとり、それが日韓関係の絶妙なコントロールにも寄与していたであろうことが、それらのモノクロ写真のカットからほの見えた。

 終戦直後の若き金日成や朝鮮戦争中のマッカーサーと直接会った人物からその印象を直接聞く機会など、私の人生で今後二度とないに違いない。李承晩から朴正煕までの歴代大統領の下で韓国軍のトップを務めた現代韓国史の生き字引のような白将軍は、軍退役後の外交官時代にフランス大統領のドゴール、スペイン総統のフランコ、台湾総統の蔣介石などとも直に接している。もちろん、日本との関係では佐藤栄作や岸信介など、あの写真アルバムに写っていた何人もの有力政治家とつながっていたはずである。

 そうした激動の韓国政治史を生き抜いてきたためであろうか、私の質問が政治分野に関わりそうになると、明瞭な返答にならない場合もあった。初対面の日本人の若者に、政治的な言質を取られかねないような不用意な回答をしないのは当然であろう。その意味において年輩者にありがちな能弁さはなく、それがかえって、言葉の重みを感じさせた。

 面会の終わりに、私は、朝鮮民謡のアリランを奏でるオルゴールをお土産にいただいた。そのオルゴールは、今も私の自宅の書斎にある。その後に生まれた子供たちには、これを「将軍のオルゴール」と教えている。

 あれからお会いする機会はなかったが、今年7月10日、白将軍が99歳で天寿を全うされたとの報道に触れて、久々に「将軍のオルゴール」を鳴らしてみた。オルゴールから流れるアリランの旋律は、名所旧跡や山河と同じく14年前と変わらないが、出会う人たちの世代交代は着々と進んでいる。さて、次の旅で私は、どんな人と巡り会えるだろうか。(終)





*2016年8月から始まった『アジアの一期一会』は、第50回を迎えた今回で終了します。新型コロナウイルスの影響で旅行がしにくい状況が発生していますが、誰もが自由に観光旅行を楽しめる世界に早く戻ることを心より願っています。4年間、ご愛読いただきありがとうございました。(小牟田哲彦)