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思考する言葉_現代中国領口語辞典
上訪
2013-09-25
7月20日土曜日の夕刻、夏休みの週末でいつもよりもずっとごった返していたはずの北京国際空港で爆発音が響いた。幸いにも爆発は大きなものではなく、一時ストップした空港業務もすぐに再開。数時間後には空港は何事もなかったかのように、また到着客を吐き出し始めた。

中国国産マイクロブログ「微博」には爆発直後から現場にいた人たちが撮った写真が流れ、何よりも早くそうぜんとなった現場の雰囲気を理解できた。そしてわずか10数分後に中央電視台が事件の一報を流し、また同時に爆発物を持ち込み、引火させた「犯人は冀中星。山東省の農村出身で、『上訪』者」と伝えた。「上訪」者、つまり陳情者という意味だ。

微博に流れた写真には爆発を起こす前の冀中星容疑者が写っていた。車椅子に載った彼は爆弾を取り出す前からそこでビラを配っており、人々の注目を浴びていたという。爆発と同時にどっと流れだしたその前後の様子を見ると、彼は左手に何かをもって高く掲げており、爆発後の写真では倒れた彼の車椅子の横に警備員らが立ち尽くしている様子からそれほど大きな爆発ではなかったことが見て取れた。現場にいた人によると、彼は左手に持った何かを掲げながら声を上げて人々を遠ざけていた、という。

事件の一報を聞いた人々は(わたしも含めて)「すわ、陳情者によるテロか?」と色めき立った。早々と「恐怖襲撃」(テロ)という言葉を使ったメディアもあった。だが、「彼は人を遠ざけていた」という証言が複数あがると、「テロではなく、陳情者の自分の声明を賭けた叫びだったのだ」という認識が広がった。彼は2005年に出稼ぎ先の広東省東莞で都市管理局員に囲まれてめった打ちにされ、下半身が不自由になったという。現地の都市管理局に賠償を求めているのに、ずっと無視されたままになっているのだそうだ。

彼は法的解決を求めてその後、陳情を繰り返し、北京でも陳情活動をしていたらしい。だがその訴えは聞き入れられず、人の多い空港でビラを配り、それを警備員に咎められて思い余って手製爆弾を取り出したらしい。その後収容された病院で「引火させるつもりはなかった。何かの拍子に爆発しただけ、申し訳ない」と言った、という話も流れてきた。だが、その結果、彼はさらに左腕を失った。

陳情者といえば、そのわずか5日前に、湖南省永州市で2006年に11歳だった娘を売春宿から救出し、加害者たちを訴え続けてきた母親が、行政を相手取った裁判で勝利した。彼女、唐慧は、事件の捜査、裁判、厳罰を求めてなんども自殺をほのめかしたり、絶食、座り込みなどの陳情を繰り返し、「上訪媽媽」の別名で呼ばれていた。そして、「社会秩序を乱した」と、市政府が昨年8月、彼女に1年半の労働教育の決定を下した。

だが、「上訪媽媽」の労働教育所送り決定が報道されると激しい批判の声が渦巻き始める。その勢いに押されて8日後に同市労働教育委員会は決定を撤回。彼女はその後、拘束された8日間の賠償と慰謝料約2500元(約3万5千円)と謝罪を同委員会に求めて裁判を起こしていた。4月に一度敗訴したものの控訴した結果、ようやく賠償と慰謝料が認められたのである。書面による謝罪の要求は「口頭ですでに謝罪済み」として認められなかったものの、明らかに行政側の負けだった。

だがその彼女にも、「証拠が不十分なまま行政、司法を脅し続け、裁判を自分の思うとおりに操った」とする記事が出た。確かに実力行使で裁判所のロビーに座り込んで開廷を求めたのは事実だった。

だが、彼女がそこまでしなければならなかったのはなぜか。冀中星が空港で声を上げ、手製の爆発物まで準備しなければならなかったのはなぜか。

すべては世の中の、そして政府の目を引き、自分の叫び声を届けるためだったのだ。この国の「上訪」とは文字通り身を犠牲にしなければ聞き届けてもらえないという現実を、彼らの実力行使を責める前に誰もが考えなければならないことのはずだ。


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版画:丁未堂