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2011年韓国

第18代大統領選挙(2)―文在寅の矛盾
2013-01-24. 奥薗秀樹
今回の選挙戦を次の三つの視点から捉えてみたい。即ち、 嵳薪沺彗弌嵌人薪沺廖↓◆嵎歇蕁彗弌嵜癖癲廖△修靴騰「新しい政治」対「旧態政治」である。

“反与党統一候補”を実現させて、朴槿恵に一騎打ちの勝負を仕掛けなければ勝利は困難との見方が支配的な中、文在寅は、最大野党の公認候補としてまさに譲れない戦いを強いられた。反与党勢力の候補を自身に一本化させて,侶舛鮴阿─△修里Δ┐猫△旅戎泙忙ち込んで進歩勢力の結集を図り、理念対立の真っ向勝負を挑んで政権交代を成し遂げんとする戦略であった。

しかし、無所属の安哲秀は、,旅戎泙任蓮∧減瀑劼範携して朴槿恵と戦うことができたが、△砲いては、自身を「合理的保守であり、穏健進歩」であるとして、その構図に組み込まれることを拒んだ。理念対立自体を“古い政治”の象徴として克服されるべきものとしたのである。そして、を前提とした“反既成政治”の立場こそが、“新しい政治”を担う存在としての政治家安哲秀の寄って立つ基盤であった。そこでは与野党双方が、政治改革を拒み続ける旧態政治の権化であるとされた。安哲秀が文在寅に対し、既得権益を捨てて党を刷新することで、新しい政治を担う覚悟を具体的形で示すよう求めたのは必然であった。安哲秀にとって、“脱既成政治”は自らの存在意義に直結するものであり、一本化に向けて譲歩することのできない絶対条件であった。

両者の候補一本化は、交渉決裂の末、安哲秀が身を引く形で決着することになった。それは不完全な“結果としての一本化”であった。文在寅は民主統合党の公認候補として統一候補となることにこだわり続けた。それは安哲秀にとって、自身が求めた既得権益の放棄と“新しい政治”を断行する覚悟を文在寅が持ち得ていないことを意味していた。

しかるに安哲秀は、立候補辞退後も、誹謗中傷が横行する選挙戦に苦言を呈して双方に自制を求める等、なかなか態度を明確にしなかった。反与党進歩勢力の結集を目指して結成された「政権交代と新しい政治のための国民連帯」にも参加せず、ようやく全面支援を宣言した後も、“新しい政治”の実現を淡々と訴えるという独自のやり方に終始した。そして、文在寅が勝利しても、次期政権で任命職に就くことはないと述べる等、「今後」を見据えた、明確に一線を引いたうえでの全面協力を貫いたのである。

安哲秀の撤退によって選挙戦が△旅戎泙箸覆襪函非理念的な安哲秀票の一部は行き場を失い、,砲ける反与党勢力の結集は不完全なものにとどまることになった。それは文在寅が、理念対立という盧武鉉ばりの旧態政治の枠組みに乗っかる形で進歩勢力の結集を図りながら、同時に、“脱既存政治”を唱えて新しい政治を標榜する安哲秀との連携を図らなければならないという、△鉢との間の矛盾の産物であった。理念対立という“後ろ向き”の戦いは、朴槿恵の李明博政権共同責任論や維新独裁再来論に、文在寅の盧武鉉政権共同責任論という形で、いつしか李明博対盧武鉉、朴正煕対盧武鉉の様相を見せ、ネガティブ・キャンペーンの応酬は、新しい政治を希求する安哲秀票の離脱を一層促進することとなった。

民主統合党は、総選挙での“敗北”にもかかわらず、親盧武鉉系で固められ、文在寅は五年前に国民から断罪された盧武鉉政治の忠実な後継者という枠から抜け出すことができなかった。自他ともに認める盧武鉉の“永遠の秘書室長”である文在寅にとって、脱盧武鉉は至難の業であり、脱盧武鉉なくして、安哲秀が求める脱既存政治を実現するのは不可能であった。“美しい一本化”と反与党勢力の結集は困難とならざるを得なかったといえよう。