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連載:アジアの停車場

アジアの停車場〔14〕
ユジノ・サハリンスク駅(樺太)…宮沢賢治も訪れたかつての「豊原」駅

2009-05-01. 小牟田哲彦
 日本で発行されている世界地図では、北海道の北に位置する樺太島(ロシア名・サハリン)の中央付近を横切る北緯50度線に、国境を意味する線が引かれている。島の南半分は、隣接するロシアや日本の領土とは異なる色で塗られている。日本はサンフランシスコ平和条約によって南樺太の領有権自体は放棄したものの、ソ連は同条約に調印しておらず、その後継国であるロシアと領土画定条約を結んでいないため、「南樺太は帰属国が未確定である」という立場を戦後60年以上が経過した今でも採っているからだ。

ユジノ・サハリンスク駅構内。左側に停車しているのは昭和60年代に日本から輸出された近距離用ディーゼルカー
 明治38(1905)年、日露戦争に勝利した日本は、ポーツマス条約に基づき樺太島の北緯50度線以南を帝政ロシアから譲り受けると、翌明治39年12月に早速、南部の港湾・コルサコフ(日本名・大泊)から約40km北上したウラジミロフカという小集落との間まで鉄道を建設した。ウラジミロフカはその後、日本式に「豊原」と改称され、樺太開拓の拠点として樺太庁が設置されるなど南樺太の中心都市として発展することになる。これに伴い、樺太最初の鉄道駅の一つとしてスタートした豊原駅も、樺太鉄道局の本局が置かれるなど樺太島内の鉄道網の筆頭駅として多くの旅人で賑わいを見せた。

 そんな旅人の一人に詩人・宮沢賢治がいる。賢治は大正12年に農学校の教え子の就職を斡旋するため樺太を訪れ、稚内からの連絡船で大泊に着いたあと、2時間ほど列車に揺られて豊原にいる先輩を訪ねている。この旅は、前年に亡くなった最愛の妹・トシとの魂の交感をも目的としていたと言われており、豊原から汽車でさらに北上し、終着駅の栄浜でトシに想いを馳せた賢治のこの樺太紀行は、後に代表作『銀河鉄道の夜』のモチーフになったとも考えられている。

 こうして、日本統治時代に誕生・発達した豊原駅をはじめとする樺太の鉄道は、第2次世界大戦末期に南樺太へ不法侵入したソ連によって接収され、豊原はユジノ・サハリンスク、大泊はコルサコフ、栄浜はスタロドゥプスコエと名を変えた。ただ、ユジノ・サハリンスク駅舎は日本時代の木造駅舎の屋根にキリル文字の駅名を掲げて1977年まで流用され、発着する旅客列車には日本時代の老朽車両が1990年代まで使用され続けるなど、日本時代の面影は樺太全土の鉄道の随所に長く残っていた。

 現在のユジノ・サハリンスク駅舎は、2007年にリニューアル工事が施された。インターネット使用や航空券の予約もできるVIPルームが設置されるなど、社会主義時代からも大きく様子が変ったが、毎日500人もの鉄道員が働く島内随一のターミナルとしての活況には変りがない。構内には、日本時代に建設された扇形機関庫や機関車の方向転換用転車台が今もかろうじてその姿をとどめている。発着する旅客列車の大半は、1980年代に日本のメーカーがソ連向けに輸出した近距離用ディーゼルカーだ。1990年代半ばにはJR東日本から無償譲渡された中古のディーゼルカーが、塗装はもとより車内外の日本語表記もそのままに発着列車の主役を務めていた時期もあり、駅の外れにその1両が展示されている。戦前の日本と戦後の日本、そして社会主義ソ連と資本主義ロシアの雰囲気が入り混じった、不思議な空間である。