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アジアの今昔・未来

第533回
知り合いベテラン高校教師の「教育論」(下)

2020-11-16. 伊藤努
引き続き、筆者の知り合いである兵庫県のベテラン高校教員の石戸信也先生の「教育論」の一端を紹介させていただく。ちなみに、石戸先生は京都にある私学の同志社大の出身で、この筆者あてメールの文面の随所から母校愛などが伝わってくる。十代あるいは20歳前後の多感な時期に、その後の人生の礎ともなる教育を通じて培った師弟の絆の深さのようなものも感じる。以下、石戸先生のメールの内容を引き続き引用したい。



戦前の同志社大学のキャンパス風景(絵葉書) 石戸信也氏所蔵
近年、同志社が付属の小学校を開設し、詩人の谷川俊太郎が校歌を作ったようです。新島襄の良心教育を継承し、この校歌には「偉い人になるよりも善い人になりたい」と歌われているようですが、井口喜源治が信州につくった研成義塾もこの教育方針に通じるものがあります。

先に紹介した信州・穂高の井口記念館に横浜の西川オルガンがありました。相馬黒光の結婚時の持参のもので、最近、修復が終わり、コンサートを開いたようです。

相馬といえば、カレーの新宿中村屋やインド独立などいろいろ関係がありますね。かつての私塾、あるいは旧制高校などは、教師と生徒の人間的なつながりがありました。「建学の精神」に共鳴する、あるいは「校祖」に魅力を感じる、あるいはその独自の教育方針や、名物先生とも言うべきユニークかつ秀逸な教授陣に信頼を置く、そのような空気があったのでしょう。明治8年創設の同志社は当初、全国から新島襄に教えを受けたいと多くの若者が集まりました。

東京都内にある早稲田大のキャンパスに行き、「早稲田に来た同志社出身の教員たち」という特別展示を見ましたが、野球部や球場の名で有名な安部磯雄や、政治学者の浮田和民など早稲田の基礎を作った多くの同志社出身教授陣は、この新島襄に心酔して集まった若者たちでした。

私(石戸)が学生の頃、教育学を学んだ高齢の名誉教授の志賀先生がおられました。先生は同志社出身です。驚いたのはその志賀先生が若き日に、同志社を受験しようと京都へ向かった時、大雪のため北陸で汽車が足止めとなり、結局、京都に着いたら、間に合わず、入試は終わったあと。しかし、あきらめることができず、同志社に入りたかった志賀先生は翌日、直談判に行き、受験をさせてもらい、入学となったようです。今なら、追試や再入試やフォロー策もあるでしょうが、当時は異例の措置だったようです。

その若者が同志社に恩義を感じ、やがて数十年奉職して、定年まで教育学を教え続けるというのは、一つのドラマのようです。

現代の日本の教育が、どうも「金太郎飴」のような教師や生徒の再生産ばかりしているようで、確かに「名物教師」は少なくなりました。考古学の専門家の教師が熱く邪馬台国を語り続けるような、昆虫のチョウチョの専門家や天体の専門家の教師が、チョウチョや星の好きな生徒たちに学問や自然の魅力を丁寧に語る。今なら大学受験に必要な質量を教えてくれないということで保護者や教育委員会は激怒するでしょう。

私たちは戦後、「効率」だけを追い求めるような教育に邁進し、新島襄や井口喜源治や志賀先生、そして岩本先生のような教育者を輩出する「全人教育の場」としての学校を忘れてしまったような気がします。

内村鑑三は井口の研成義塾を評して「慶応義塾や早稲田に比べると見るかげも無い小さな学校だが、その教育の意思は山の花崗岩より硬く、その精神は万水よりも清い」と述べたということです。

私(石戸)も現在は60歳の定年後の再任用で、若い先生のように機動力はないのですが、自分は勤務先の学校に、地域の教育に、兵庫県に何を為し、何を貢献し、残せるのか自問自答の日々です。伊藤先生の岩本先生のお話のように、「教育は人」ですね。

以上、石戸先生の感想メールの内容が具体的でかつ意義深いものであったため、引用が長くなった点はご容赦願いたい。第525回の拙稿コラムで紹介させていただいた筆者の恩師の岩本秋雄先生の「型破り教員人生」に共感してくれた現役の高校教員がいたというだけでなく、関西の特色ある伝統私学のOBだからこそ通暁した明治・大正・昭和の教育史の秘話をこの機会に知り得たことがうれしく、ありがたいと思った次第だ。