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アジアの今昔・未来

第557回
校則破りの奥多摩一泊旅行の7人組

2021-10-11. 伊藤努
 前回の本欄では、筆者の高校時代の恩師2人との「酒宴」の思い出を紹介させていただいたが、それでもう一つ思い出したのが、その半年余り前の高校3年のときの親しい級友たちとの一泊旅行だ。旅行と言っても、行き先は母校の目の前の都県境を流れる多摩川の上流域の奥多摩渓谷のバンガローで、費用があまりかからない点が決め手となった。秋も深まった11月半ば、教室で声を掛け合い、示し合わせた仲間7人が参加した。



 高校3年の秋の時期ともなれば、翌年早々の大学入試を控え、一泊旅行どころではないはずだったが、地元では進学校とみられていた高校では、当時は当たり前とされた「1年浪人して志望大学に入る」というのが進学組の間では暗黙の了解となっていた。がり勉型の現役合格組も少なからずいたが、自然豊かな奥多摩に行った面々は現役での大学合格を半ばあきらめ、(人並みとも言われた)一浪覚悟だったのだろう。

 受験生にとって大事な時期にこんな酔狂なことをなぜしたかというと、11月までに在校生にとっての重要行事である体育祭、文化祭が終わり、ここは気分を一新して受験勉強に入る前に少しばかり羽を伸ばそうという魂胆だった。行き先はすぐに奥多摩渓谷と決まったが、50年も前のことなので、詳しいいきさつなどはすっかり忘れてしまった。ただ、仲間の誰かが未成年は飲めないはずの安物ウイスキーのボトルを持ってきたので、バンガローでの夜のささやかな宴会と合わせ、明らかな校則違反を犯したことになる。参加メンバーの級友の誰かが聞きつけ、学校側に密告していれば、停学処分は覚悟しなければならない。

 ほとんど忘却の彼方にあった大学受験前の奥多摩旅行だったが、最近、このときの仲間の一人が昔の写真を何枚か高校同期の同窓会サイトに投稿したため、筆者も目にすることになり、当時の記憶が徐々に蘇ってきた。秋が深まった奥多摩の山々を背景に、大きな枯れ木の枝に足を掛けた一同の写真や、前夜の酒宴の酔いがさめやらない中で山歩きをしたため疲れた表情の集合写真を眺めると、「50年前は皆、若かった」という至極当たり前の感想に落ち着く。同期のアルバム・サイトに投稿され、掲載された写真の構図が比較的良いのは、陸上部の短距離走者にして写真部にも属していたK君の腕前のせいであろうか。

 周りは人けのない奥多摩の河原のバンガローで徹夜で語り合い、早朝の清流で顔を洗ったこのときの仲間のその後を簡単に紹介させていただく。当時はこの仲間たちの人生行路など想像もできなかった。何人かは孫の世話で忙しいらしい。

 奥多摩旅行ではカメラマンを買って出たK君は100メートル走で高校生としての好記録を持っていたため、推薦で入学した私学の陸上部でも活躍。その後、陸上競技の指導者を兼ねながら、大学の教員となった。

 一年浪人組のM君は志望の私大理工学部に進学して石油資源工学を専攻。卒業後は石油を探査する企業に就職し、中東など世界各地の掘削現場で働いた。定年退職前の勤務地は米国のヒューストンだった。

 やはり一浪組で、数学と物理が得意科目だったS君は国立大で電気通信を専攻し、その専門分野を生かして当時の電電公社(現NTT)に入社し、日進月歩で技術が進展するパソコンやスマホ事業などの最先端分野で働いた。

 企業に就職する仲間が多い中で機械加工の自営業を営むS君は、現在は栃木県の那須塩原に工場を構えるが、人付き合いが良く、都内や地元のK県で開かれる同窓会には新幹線を利用して必ず駆けつける。中小企業経営者で多忙の傍ら、フルマラソンにも挑戦し、気持ちの若さは昔と変わらない。

 控え目な人柄ながら、高校では剣道部で鍛えたKO君は大手生命保険会社の営業マンとなったが、腰の低さが営業成績にも結びついたのではないか。KO君と筆者は中学こそ違え、中学時代はライバル関係にあった野球部に所属していたので、 高校で同じクラスになり、お互いに驚いたものである。

 奥多摩旅行の7人の仲間でただ一人他界したKA君は大学卒業後は都の職員となり、自ら希望して伊豆七島の最大の島である大島町に長く勤務した。三原山の噴火や台風襲来時の大雨・洪水被害では町役場の職員としていろいろと苦労があったと聞いた。

 さて、7人目に登場する筆者のIは高校時代、練習が厳しかった硬式野球部に所属していたため、このときの奥多摩旅行のようなリラックスする時間はほとんど持てなかった。公式戦としては最後となる高校3年の夏の県大会までは丸刈り頭だったが、仲間の一人が同期同窓会のサイトに投稿した写真を見ると、髪の毛がいわゆる「スポーツ刈り」程度には伸びている。昭和46年(1971年)の秋だと、本人だからこそ確認できる貴重な1枚となった。