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ベトナム 生活図譜

第25回 グエン朝の建築群
2019-03-15. 竹森紘臣
最近は日本のテレビ番組でベトナムを特集していると日本に住んでいる方から聞くことが多い。ベトナムから日本への研修生について問題が起こったりとあまり歓迎されないニュースもあるが、聞いているとそのほとんどがベトナムの観光地の特集だ。観光地としてのベトナムは日本だけではなく、他国も注目している。訪れる観光客の数はここ数年で倍以上の伸びを見せており、2020年には2000万人を超えると予想されている。人気の理由は、世界的にヘルシーフードとされているベトナム料理やハノイやホイアンの旧市街のような古い町並みなどいくつか挙げられるが、もっとも多くの人を惹きつけているのは世界遺産ではないだろうか。

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ミンマン帝廟(フエ、ベトナム)
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虎園、円形闘技場(フエ、ベトナム)
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カイディン帝廟(フエ、ベトナム)
現在ベトナムには5つの文化遺産とふたつの自然遺産、そして1つの複合遺産(景観関連遺産)がある。はじめに世界遺産登録されたのは1993年のフエの建物群である。このコラムでも「第11回 王城都市・フエ」として紹介したフエ城はこの建物群の一部で、1802年から1945年まで13代続いたグエン朝の歴代の皇帝の霊廟なども合わせて世界遺産として認定されている。

それらの霊廟の中でももっとも雄大で整ったかたちの霊廟は第二代皇帝のミンマン帝の廟ではないだろうか。グエン朝はその建国時にフランス人宣教師から支援を受けて成立したが、ミンマン帝はキリスト教への弾圧を行い、国の体制は当時の中国、清をモデルとした。ミンマン帝みずからが設計したといわれる霊廟も中国の影響を大いに受けている。奥行きが1劼魃曚┐訥絞形の真ん中を通る軸線上に門、拝亭、テラスなどが並び、一番奥に墓が配置されている。(写真1)門から入ると一直線に続く道の先に次の建物が見え、階段を上がり建物を通り過ぎるとまた新たなビューが展開され奥に導かれていく。豊かな自然とそれに合わせた空間デザインが非常に巧みだ。

またミンマン帝はその在位中に「虎園」とよばれる円形闘技場の建設も行っている(写真2)直径20mほどの「虎園」では象と虎を戦わせた。象はベトナムの象徴であり、虎は敵国の象徴で、象が勝つように虎の牙や爪を抜き、それを歴代皇帝が見物したといわれている。ミンマン帝の後も、4代皇帝のトゥードゥック帝までは霊廟や離宮など豊かな建築が建てられ、その間の王朝の繁栄をうかがわせる。

5代皇帝以降はフランスの攻勢のため次第にグエン朝の力は弱まり、その建築の栄華も次第に薄れていく。ほどなくフランスの傀儡王朝となる中で、第12代皇帝のカイディン帝の霊廟が異彩を放っている。カイディン帝はフランスに擁立された皇帝だった。在位中にフランス、マルセイユにも訪れ、その際にフランスの建築様式に大きな影響を受けており、王宮内の建物にもその要素を取り入れた。1920年から10年ほど掛けて建てられた廟は、ミンマン帝や初期の皇帝陵墓とは違い大きな庭園を持っておらず、大きな段上テラスの上にいくつかの建物が配置されただけのものである。その建物にはゴシック様式を採用させ、内装は様々な色の陶器片やガラス片を用いていくつもの龍や模様を描いている。(写真3)廟に入ったときはその絢爛さに圧倒され、よく見ると少しかわいらしいモザイクタイルのような仕上げに魅了される。またこの陶器やガラス片の中には当時日本から輸入された陶器やビール瓶のものも使用されていてる。西洋と東洋と、とにかくたくさんの要素が詰め込まれたこの廟は、全体として特異な雰囲気を醸し出している。しかし、この時期ににつかわしくない豪華さとこの建物の造営のための増税で多くの批判を受けていたりと、次代の皇帝で滅亡するグエン朝の末期的な雰囲気を表すような建物といえるかもしれない。

以前紹介した通り、フエ城内の王宮建物はその多くが戦災で失われてしまっているが、その霊廟は数多くフエ市内に残っている。これらは建築そのものの価値だけではなく、グエン朝の歴史を雄弁に物語るものとしても偉大な遺産群となっている。
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フエ、ベトナム