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ベトナム 生活図譜

第22回 都市の歴史をもつホテル
2018-12-26. 竹森紘臣
ベトナムに旅行で訪れて泊まりたいホテルと聞かれればどのホテルが一番人気があるのだろうか。サイゴンであれば開高健や沢木耕太郎のエッセイなどで有名なマジェスティックホテルや1880年創業のベトナムで一番歴史あるホテルであるコンチネンタルサイゴンだろう。ホテルというものはどこの都市にも必ずあり、モダンで最新の設備が整ったホテルはどんどんできているが、歴史があるホテルの価値というのは薄れないものだ。ハノイでいうとソフィテル・レジェンド・メトロポール・ホテル(以下メトロポールホテル)ということになるだろう。

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メトロポールホテル、メインエントランス(ハノイ、ベトナム)
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メトロポールホテル、地下壕(ハノイ、ベトナム)
メトロポールホテルは1901年に「グランド・ホテル・メトロポール・パレス」という名前で開業した。開業の年にはハノイのオペラハウスの着工が始まった。メトロポールホテルの創業当時はフランスのルーブル美術館と同じでパリの街並みを思わせるマンサード屋根を冠した建物であった。フランス統治が終了したのち、1954年には一度ベトナムの国営ホテルとなり1992年にふたたびフランスとの合弁になった。そのときに改修、増築が行われて現在の姿に至っている。(写真1)1901年の建設当時は周辺に建物はなく空き地だらけだった。今では向かいに迎賓館(旧トンキン理事長官官邸)があり、隣のブロックには国立銀行(旧インドシナ銀行)があったりと、ハノイの繁華街の中心地にある。創業当時のベトナムはフランス統治のもとにあり開発もフランス人によって行われたが、そのときにフランスからの要人が泊れるホテルといえばメトロポールホテル以外にはなかった。また他の国からくる人々にとってもこのホテルは特別で、日本も含めほとんどの国の大使館がホテル内に置かれていた。創業から現在に至るまでハノイにある最高峰のホテルである。

 このホテルには要人が多いために必要となったベトナム、ハノイならではの施設がある。それは防空壕だ。中庭のプールの脇にあるこの壕は1965年から1975年まで実際に使用されていた。ベトナム戦争中のハノイの街中にはいくつもの防空壕がつくられていたが、こちらはVIP専用の防空壕である。この壕は深さ約4m、天井の高さ1.85m、広さ40平米弱のスペースを6つに区切ってつくられている。コンクリート製で、それがさらに2層のコンクリートでカバーされており、非常に強固なものであった。「ホー・チ・ミン主席の防空壕の次に頑丈」ともいわれ、その特別さがわがる。壕には換気口が設けられ長時間の滞在にも耐えられる。といえども実際に入ってみるとコンクリートで囲まれた地下の狭い空間は息苦しさを感じる。この中で爆撃が終わるのを待ち続ける不安は想像を絶する。この壕の中でそんな体験をした最も著名な人物がいる。アメリカ人フォーク歌手でベトナム反戦運動で有名なジョーン・バエズであろう。彼女は1972年12月のハノイ爆撃の際にこの壕に避難をし、そこで反戦歌である「Where are you now, my son 」という曲を歌った。

ベトナム戦争の終結とともにこの壕は使用されなくなり忘れ去られていたが、2011年にプールの拡張計画のため現場を調査をしたときに発見された。ホテルの関係者で存在は知っているものはいたが、はっきりした場所は誰にもわかっていなかったという。戦後からドイモイ政策(経済開放)を経て、急速に経済発展を経て戦争の記憶は薄れつつある。この壕はそれを象徴するものとして感慨深い。この壕はホテルに宿泊すると案内人付のツアーで見学することができる。ベトナムに旅行の際はホテルで過ごして壕を見学し、ベトナムの華やかで繁栄した時代や悲しく厳しい時代が詰まった時代を感じてみてほしい。
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メトロポールホテル(ハノイ、ベトナム)