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ベトナム 生活図譜

第21回 閉じられた農村
2018-11-26. 竹森紘臣
 ベトナムの国土は中国、ラオス、カンボジアとの国境付近を除いては、そのほとんどが平地である。さらにその平地のほとんどは農地で米の作付面積は国土の60%を超える。日本の国土に対する農地割合が現在12%強ほどなので、くらべるとその割合の大きさがよくわかる。ベトナムは1986年ドイモイと呼ばれる経済開放政策以来、最近まで国家として重工業化を成し遂げることを目標としてきたが、近年では農業重視の政策に展開をしている農業国である。

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モンフー集落内の路地(ドンラム村、ベトナム)
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モンフー集落の集会所、ディン(ドンラム村、ベトナム)
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教会(ドンラム村、ベトナム)
 ハノイやホーチミンは少しずつその範囲を拡大し続けてはいるが、ひとたび郊外に出るとまだまだ田園風景が広がる。そこには古くからの農民によるコミュニティがまだ残っている。今回はその中でも日本の大学や政府機関が集落保存運動を行ったドンラム村を通して、ベトナムの、特に北部の伝統的な農村についてお話したいと思う。

 ドンラム村はハノイ市から北西に40kmほど離れたところに位置している。現在のような集落形態に落ち着いたのは19世紀ごろといわれているが、村に残される公共施設や宗教施設から6世紀ごろまでその歴史はさかのぼる。

 ドンラム村は9つの集落から成っており、全体で800haほどある。元々は各集落ごとに独立した行政機能をもっていたし、それぞれの境界には竹垣や密生する植物の天然の障壁によって自由に行き来ができないようになっていた。各集落には門があり、夜になると門が閉じられ村の住民でも夜間の出入りは禁じられていた。現在は唯一、モンフー集落というドンラム村で一番大きな集落の門だけが残されている。他の集落の門や竹垣は半世紀ほど前になくなっているものの、いまだに各集落は各々独自なコミュニティーを形成し、他の集落の人間がそこに入ることは難しい。このようにそれぞれの集落は閉じられているため集落内部の密度は高い。境界の内側には入り組んだ細い路地が広がっているが、各々の世帯が自分たちの土地を確保して残った最低限の場所が路地になったという感じで袋小路も少なくない。(写真1)日本の農村が広大な農地の中に民家が点在しているような散村形態をとるのに比べると大きく違いがある。

 先ほど紹介したように各集落は独立した行政機能を持っていて、その行政の中心となるディンと呼ばれる集会場が各集落にある。(写真2)ディンは農民の住居に比べると規模が大きく、また高い床を張るという特徴を持つ。建物内には祭壇があり、集落の守護神が祀られ、前の広場では祭礼が行われる。ちなみに写真に写っているモンフー集落の守護神はドンラム村の近くにあるバーヴィ山という山で、アニミズムという意味では日本の神社と似ている。ベトナムの歴史的英雄の廟がいくつもあり、寺院がある集落もある。ドンラム村の中にあるドンサン集落にはミア寺と呼ばれる寺があり、寺内の石碑によると1632年に建立された木造建築で、中には300体ちかくの仏像が祀られており、毎日おおくのひとがお参りに訪れ、門前には市が成している。また村の外れには教会がある。この教会は建物に掲げられている年代から1953年に建設されている鉄筋コンクリートの建物(写真3)であるが、1930年代には木造の教会がすでにあったといわれている。現在の教会は鐘楼を持ち、ほとんど平屋の建物しかない村の中ではその高さが際立っている。

 ベトナム北部では長い中国による支配が続いた北属時代があり、その後も戦乱が絶えなかったためであろうか、ドンラム村は物理的に非常に閉鎖的な集落から成り立っている。そしてその中にたくさんの歴史を集積させて、宗教的、思想的にも、アニミズムから始まり、先祖信仰があり、仏教が取り入れられ、フランス統治時代には教会をも取り込んで、すべてをその村の中に抱え魅力的な農村風景を創りだしている。
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ドンラム村(ハノイ周辺広域)