日本を訪れる外国人旅行客が近年、大幅な伸びを見せており、2020年の東京五輪・パラリンピックを控え、迎え入れる側のホテル・旅館業や観光業界には当分、追い風が続きそうだ。東京でもこうした外国人旅行客の増加を当て込んで、外資系を含め、国内外の大手ホテルの新規開業、リニューアルオープンが相次いでいるが、これまで日本では旅館営業法上、認められていなかった個人旅行者向けの宿泊料金が安い「民泊」の営業解禁に向けた動きも進んでいる。防犯対策などいろいろと問題点はあるにせよ、今後ますます増える外国人旅行者の多種多様なニーズに合わせて、わが国でも民泊のような営業形態が早く認可されるよう期待したい。
筆者は現役の第一線で仕事をしていた時代、海外での駐在勤務や外国出張時に数え切れぬほど現地のホテルや単身者用サービスアパートなどの世話になった。そうした外国駐在・出張時の宿泊で忘れられない思い出が、旧東ドイツ時代のライプチヒでの民泊体験だ。あの「ベルリンの壁」が崩壊する3年前の1986年の秋のことである。
ドイツは東西に分断されていた当時も、そして現在も国内各地で歴史と伝統ある産業見本市が定期的に開催され、見本市が開かれる期間中は世界中から多数のビジネスマンらが集まる。ライプチヒ見本市は工作機械の展示と商談で有名だったが、市内にあるホテルだけでは外国からの訪問者を受け入れることができない。このため、見本市の事務局が窓口になって、外国人向けに一般市民の住宅での民泊を斡旋していた。
たまたま、5日間のライプチヒ滞在中、宿泊客でいっぱいのホテルには3日分の予約しか取れなかったため、好奇心も手伝って、2泊分の民泊を事務局に申請した。筆者が利用した民泊の部屋の貸し主は子供がいない中年のご夫婦で、見本市開催中は副業ともなるので、空いている部屋を見本市事務局に登録申請しているとのことだった。
たった2泊、それも日中の仕事を終えて宿泊先のその家庭で夜間を過ごすだけの滞在だったが、当時の東ドイツの一般家庭の生活ぶりを垣間見たことは貴重な経験だった。ちなみに、宿泊と簡単な朝食付きの料金は1泊当たり25東ドイツマルク(公定レートは西ドイツマルクと同じで、当時のレートでは約2000円)で、宿泊料金はそっくり貸し主の収入となる。こうした副業があるためか、そのお宅では、社会主義国だった当時の同国では高価だったカラーテレビ、冷蔵庫などの家電製品がそろっていて、夫妻は暮らしぶりに満足しているようだった。ちなみに、見本市の取材を終えて勤務地の西ドイツに帰任するまでの3日間滞在したライプチヒの高級ホテルの宿泊費は1泊100東ドイツマルクで、民泊がいかに格安であるかが分かる。
筆者の経験した狭い範囲だが、当時の西ドイツを含め、ドイツでは宿泊用の部屋と朝食のサービスだけという個人営業の民宿型宿泊施設が地方でも充実しており、休暇旅行などでは随分とお世話になったものだ。
最近の日本のテレビでは、外国人の若い旅行者やグループが宿泊料金を極力抑えた小さな日本風旅館に滞在し、その分、食事や本来の観光向けに費用を使う旅行スタイルが人気を呼んでいることが紹介されている。至れり尽くせりの豪華ホテルに泊まることだけが外国旅行の楽しみではないはずだ。