第398回 アンコール遺跡の修復はカンボジア人の手で  直井謙二

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第398回 アンコール遺跡の修復はカンボジア人の手で

今年も多くの年賀状が届いた。その中でひときわ輝きを放ったのは上智大学の元学長でアジア人材養成研究センターの石澤良昭所長の年賀状だった。石澤所長の活躍についてはすでに小欄に書いた(第202回石澤良昭前上智大学学長の叙勲)アンコール遺跡で世界的な研究成果を上げる一方でカンボジア人の専門家を育成することに力を注いだ。

1980年代後半から90年代初めまで内戦の後遺症で苦しむカンボジアはアンコール遺跡修復に必要な資金も人材もなかった。国連から経済制裁を受けていた上にポルポト政権時代の虐殺で遺跡の専門家も殺害されわずか2名しか生き残っていなかった。残ったうちの一人は「人も資金も資料もない」と寂しそうだった。

90年代に入ると石澤所長は教室も机も専門書もない状況にもかかわらずアンコールワットの境内などで青空教室を開いた。(写真)専門知識を持ち合わせないカンボジアの学生は石澤所長の講義をノートに書き写していた。「ギリシャ・ローマの文明がヨーロッパ文明の礎になったようにアンコール文明がアジアの文明の礎になりました」。アンコール文明の位置づけから始めなければならない講義の内容に人材が育つまでの道のりの長さを感じた。

1996年、アンコールワットの近くに上智大学の手で研究センターが開設され本格的な人材育成が始まった。センターでは開設に向け教授と学生が一体となって教室を整える作業にあたっていた。アンコールワットの西参道は1930年にフランスの手で右半分が修復されたが、長い内戦で左半分の修復は残されたままだ。ODAを受け上智大学が左半分の修復を手掛けると聞いていたが、石澤所長の年賀状によればカンボジア政府との共同事業となりリーダーにカンボジア人3人が当たることになったという。

リ・ヴァンナ遺跡局長とティン・ティナ国際センター副局長それにチェン・タラ遺跡公園副局長の3人はともに日本の大学で博士号を取得した石澤所長の教え子だ。修復の現場を訪れたら日本語で声をかけてほしいと書かれていて、ようやくカンボジアの専門家が育った喜びにあふれていた。

フランス植民地時代に始まった遺跡の研究と修復は長い間外国人の手に委ねられてきた。カンボジア人による研究や修復は時間や経費の節約になるばかりでなく研究修復のノウハウもカンボジアに残る。青空教室から四半世紀、ようやく石澤所長の夢が実現したようだ。

写真1:アンコールワットの境内などで青空教室

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