第280回 集団的自衛権と邦人保護 直井謙二

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第280回 集団的自衛権と邦人保護

安倍政権は今年7月憲法解釈を変更し、集団的自衛権を閣議決定した。国民の多くが慎重な論議を求める中、安倍総理はパネルを使い、朝鮮半島有事の際に救出された邦人を乗せた米艦船を護衛する例を強調した。この会見で騒乱状態のアジアの国から脱出しようとする邦人に遭遇した記憶がよみがえった。

1993年、国連主導の総選挙が功を奏し、カンボジアの長い内戦にやっと終止符が打たれた。内戦終結を受け日本人を含め多くの外国人がカンボジアに入り活動を開始した。ところが97年6月、フンセン、ラナリットの両首相の対立が激化しプノンペン市内でも銃撃戦が繰り広げられたのだ。再び内戦の悪夢がよみがえり、外国人は我先にと脱出を試みた。日本政府も邦人保護のため自衛隊機をタイに派遣したが、PKO法に基づき安全が確認できないことを理由にタイに待機していた。一方、大勢の海外労働者をカンボジアに送っていたフィリピンはいち早くC130大型輸送機をカンボジアに派遣し保護にあたった。

輸送機到着前から大勢のフィリピン人労働者がポシェントン空港に詰めかけ、到着を待った。(写真)大型輸送機にはまだ余裕があり、フィリピン人でなくてもマニラに向かいたい人は搭乗してよいという案内があった。自衛隊機に期待できない十数人の日本人が遠慮がちに搭乗の列に並んでいた。

98年5月、タイで始まったアジア通貨危機はインドネシアにも波及し、スハルト政権が崩壊した。ジャカルタ市内のホテルから見渡すと十数本の火柱が経ち、中華街も焼き払われて多数の死傷者が出て市内は騒乱状態になった。いつ取材を止めてスタッフと共にジャカルタから逃げ出すか判断を迫られるほどだった。この事態にアメリカ政府はいち早く在住のアメリカ市民に広報を出し、車と飛行機を用意して市民を脱出させていたことが後で分かった。この時、日本政府はアメリカから情報を受けていなかったのか、大使館と日本人会はほとんど手を打てなかった。アメリカ政府にしてみれば、まず自国民の救出に全力を上げるのが当然だ。

昨年1月、アルジェリアで日揮の社員がイスラムゲリラに襲われた事件でも九死に一生を得た邦人社員は現地動労者の機転でアルジェリア人の服を着せられ脱出したという。安全保障条約は騒乱状態ですら市民の救出には機能せず、現地の人道的な措置の方が有効だ。安倍総理が説明した朝鮮半島有事に幼児を抱えた母親が米艦船で脱出するパネルには違和感が残る。


写真1:空港で救出を待つフィリピン人労働者

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