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唐朝は西暦618年から907年まで続いた中国史上の代表的王朝であり、日本も遣唐使を通じて、律令制、都城制、仏教の教学、文学、建築など多方面にわたり制度や文化を摂取した。その唐朝の存在を否定する言説が中国のネット空間で広がり、中国共産党機関紙である人民日報系のニュースサイト『人民網』や中国社会科学院系の『中国社会科学報』が相次いで警戒を示した。
アルゴリズムの「おすすめ」機能が提示するネット上の言説に多くのユーザーが誘導され、現実社会の認識や行動に影響を及ぼす事案が、中国で顕在化した。その一例が「唐朝は存在しなかった」とする偽史論の、ショート動画プラットフォームにおける拡散である。一見荒唐無稽な偽史論ではあるが、なぜ中国共産党当局までが前面に出て、抑え込みに乗り出したのか。そこには、この偽史論の拡大が、公式の歴史叙述や社会の安定に関わる重大問題として認識されたことがうかがえる。
■『人民網』報道に見る警戒心
人民日報系のニュースサイト『人民網』に、8月12日、「 “唐朝は存在しなかったのか?”説がネット上で拡散。歴史捏造を専門家が解析する(網絡流伝“唐朝不存在”?専家拆解偽史乱象)」という見出しが載った。関連報道によると、2026年4月下旬から5月初めにかけて、SNSに「唐朝は存在せず、隋唐・五代十国は後世の捏造で、宋朝が実際には800年近く続いた」とする主張を行うショート動画が相次いで投稿され、拡散された。これが十代の若者を中心とした人々の歴史認識を揺るがしたというのだ。唐朝の存在は誰もが知っている常識だが、『人民網』は、政府系シンクタンクの中国社会科学院や上海・復旦大学の専門家に、唐朝が実在したことを示す証拠体系を解説させた。専門家は、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』などの文献、出土墓誌、遺跡や文物、さらには日本の遣唐使や朝鮮半島、アラブ商人などの記録を挙げ、唐朝の存在は明確に裏付けられていると説明した。そして偽史論は、民族の歴史と中華文明の連続性を揺るがすものだと厳しく批判した。
この偽史論が受け入れられた背景として『人民網』は、現状のネット空間におけるアルゴリズムの働きとその対策を問題視した。その上で、若者に対する歴史教育のあり方や、人々のメディアリテラシーの不足を指摘した。解決策として、歴史を教科書や専門の世界に偏重したものではなく、様々なメディアを使い、誰もが親しめる内容を目指し、歴史やメディアを読み解くリテラシーを向上させるべきだと訴えた。
■偽史論の生成過程を『中国社会科学報』が伝えた
中国社会科学院が主管する『中国社会科学報』も8月20日付の一面で、この偽史論が生成された過程を詳報した。デマ動画は「喬于(qiao yu)」というハンドルネームで、2026年4月下旬から5月にかけて動画サイト「Bili bili(嗶哩嗶哩)」に次々と投稿されたという。内容は、「唐朝は存在しなかった(唐朝不存在)」という独自の主張に基づき、「隋、唐の王朝、五代十国は後世の人々によって捏造されたもので、漢朝の滅亡後は直接、宋朝に引き継がれた」「李白、杜甫、白居易といった詩人の作品はすべて宋代の文学者による創作だ」「大明宮、唐三彩、敦煌の文書はすべて捏造だ」と訴えているという。その論法は「教科書の限界を打ち破る」「天文学、暦法、文献研究、海外での最新の仮説など根拠とした」という触れ込みで、歴史の知識が乏しい多くのネットユーザーを魅了した。「喬于(qiao yu)」が、説得材料に流用したとされるのが、過去に欧州で提起され、すでに学界から否定されている「幻影時間仮説」というものである。これは、西暦614年から911年までの約297年間の歴史が、後世に捏造されたとする疑似歴史説で、欧州中世史をめぐる陰謀論であった。これを、中国で一部のセルフ・メディアの投稿者が中国史に引用し、唐朝の年代と重ね合わせることで「隋唐虚構論」を組み立てた。こうした疑似歴史的発想が影響した事例ともいえる、今回の「唐朝不存在」説は、拡散され、フィルター・バブルのコミュニティを形成した。そして短時間のうちに何万回も再生され、商品や講座を販売することで収益につながるしくみになっていた。このように『中国社会科学報』は解説する。そして、「科学的に厳密な解説は、必ずしもネットユーザーを刺激するとは限らず、基本的な理解に挑戦するような視点の方が、関心を引きつけ、議論を促す傾向がある」と指摘した。挑発的で反常識的な主張の方が、ユーザーを引き付け、論争を生みやすく、アルゴリズムが働きやすいというのだ。現在、「喬于(qiao yu)」のアカウントは停止されているという。「喬于(qiao yu)」がいかなる人物なのかは今のところ明らかにされていない。
■偽史論を増幅させたのはアルゴリズムか
私も中国の検索サイト「百度」で確認した。元動画は削除されていたが、「西側の陰謀論が侵入してきた」「偽史論者はなぜそう主張するのか」といった、批判や解説を装った二次動画が中国のプラットフォーム、「Bili bili」などに残っていた。多いものでは14万2000回視聴されていた。つまり、関連情報が一律に即時削除されているというより、発信源となった動画やアカウントを重点的に処理し、転載されたコンテンツは一定程度残されている状態にも見える。
日本で同様の珍説が拡散しても、国家機関が警戒を呼び掛ける事態にはなりにくい。一定期間、世の中の注目を集める中で、メディアによる論評を経て、並行して歴史家などによる検証が進められ、その後は自然に沈静化する可能性が高い。
中国では、ある世論がメディアや選挙の投票行動を通じて政治に反映されることは少ない。よって異論、反論の感情的な高まりは社会にたまった状態になる。しかし党・政府は世論や社会不安のリスクを観察し、シンクタンクの研究者らの進言も参考にして、官製メディアの宣伝・誘導方針を打ち出していく。ところが今回は、そうしたプロセスはなく、中国共産党が機関紙や社会科学院の反応が突然、前面に出た。
中国当局の危機感は、偽史論そのものに加え、プラットフォームのアルゴリズムが示す「おすすめ」機能が高速で情報を拡散し、生成AIが偽文書や偽動画を容易に作り出し、さらにAIチャットボットがネット上の誤情報や悪意ある情報を出力してしまうという複雑なリスクに向けられているのではないか。従来通りの宣伝・検閲体制だけでは、対応が追いつかないことに、危機感を抱いているのではないか思われる。
『人民網』は、今回の動画が拡散した背景として、「セルフ・メディアの投稿者が、「常識を覆す」「歴史は捏造された」といったセンセーショナルな見出しで、ネットユーザーの好奇心に応えページビューを稼ぐことを狙いとしている」ことを指摘した。その上で「アルゴリズムの「おすすめ」機能が過激でセンセーショナルな情報を過度に増幅している」ことを問題視した。
アルゴリズムの「おすすめ」機能は、ユーザーの閲覧履歴、クリック数、視聴時間、コメント数、共有する行動などをもとに、機械学習を含むアルゴリズムによって表示内容を最適化する。そこでは、人間の編集判断による内容の真偽よりも、ユーザーの反応量を最大化することが優先されやすい。これが、機械学習を用いた「おすすめ」機能の構造的な問題である。ここで区別すべきは、まず偽史論を拡散させる「おすすめ」機能のアルゴリズムと、そして偽の文書・画像・動画を生成し得る生成AI、さらにはネット上の誤情報を学習・参照してしまう大規模言語モデルの問題点である。今回は、この三つの問題点が相互に結びつく危険性が示されたのである。
『中国社会科学報』の調査記事も、「ショート動画プラットフォームのアルゴリズムが、誤謬の拡散に影響している」と断言した。「アルゴリズムは、トピックのクリック率とコメント数に基づいて、コンテンツの「おすすめ」範囲を継続的に拡大している」「アルゴリズムは「正しい見解」と「間違った見解」を区別せず、人気度だけを識別する」と問題点を指摘した。プラットフォームの運営側には「この情報を提示してよいか否か」をチェックする審査員がいるという。しかし『中国社会科学報』が取材で対面したある審査員は「(人為的な)介入が世論の高まりに追いつかないことが多い」「手動による審査はアルゴリズムによる「おすすめ」機能よりもはるかに時間がかかる」「(たとえば)偽の歴史動画は数時間のうちに数百万回再生される可能性もある」と答えたという。
『中国社会科学報』の調査記事はさらに、コンテンツ拡散における人間である制作者自身の問題点を指摘した。「AI技術の進歩は、コンテンツ制作のハードルを下げた」。生成AIによって、偽文書、偽画像、偽動画、もっともらしい偽史論の文章を作成するハードルが下がったということである。また、コンテンツを拡散する者は、プラットフォームやアカウントを頻繁に切り替え、表現を変えることで、審査を回避し、コンテンツの出所特定を困難にした。こうしてフェイク動画が拡散されていると解説しているのだ。
■AIデータ汚染に危機感を抱く共産党
今回、中国大陸で起きたことは同じ中華圏の香港や台湾のメディアでも関心を呼んだ。8月3日に香港の『星島日報』系メディアが、「AIデータ汚染」の問題を取り上げた。「AIの学習データベースには、様々な誤謬が絶えず蓄積されている」「AIは歴史的事実の真偽を独自に判断する能力を持たず、オンライン情報の頻度しかカウントしない」「AIチャットボットは一見もっともらしく見えるものの、最終的には誤解を招く回答を出力する可能性もある」と報じた。この記事は台湾メディアでも転載されている。これはネット上の偽情報までもが、AIの訓練データに混入し、その誤情報を、AIがもっともらしく出力することを示す。
これで思い当たることがあった。習近平政権は2026年に入って、AIがもたらす危険な側面をたびたび強調していたのだ。2026年7月、国連のグテーレス事務総長などを招いて上海で開催された『世界人工知能大会』で、習近平主席が演説で「アルゴリズムが意思決定に参加するとき、安全保障を確保できるか」と訴え、人工知能(AI)を常に人間の制御下に置き、関連法規、政策、倫理指針を継続的に改善し、悪用を防止する必要性を強調した。4月には、情報・防諜機関である中国国家安全部が、公式ウィーチャットで、AIのデータに悪意ある情報が混入することで、政治的・思想的安全を脅かす「AIデータ汚染(AI投毒)」の危険性を警告していた。
この政府側の偽情報対策の動きをみると、現状のAIやアルゴリズムの「おすすめ」機能が持つ構造的な偏りが、今回の偽情報の拡散を助長したと見ている可能性がありそうだ。
■なぜ唐朝が標的になったのか
なぜ唐朝を貶めたのかが気になっていたが、これについては、香港メディアの『フェニックステレビ・ネット版(鳳凰網)』が7月30日に次のような指摘をしている。「「明王朝の世界帝国」を主張するために、唐朝の存在を否定する者がいる」。中国にはそれぞれの王朝のファンがいて、争うことがある。そして明朝のファンが唐朝のファンを貶めることがあるというのだ。
唐の高祖・李淵の一族は北朝以来の北方系遊牧民の鮮卑と関係が深い。母親が鮮卑系だったという説がある。このため、漢民族中心主義の議論の対象になりやすく、「唐朝は中国の正統な王朝の中に位置づけるべきではない」「唐朝は中国に属していなかった」という主張につながるというのだ。先述した香港『星島日報』系メディアも、ネット上に「明朝」推しと、「唐朝」推しのファン同士の対立があったことを取り上げている。それが事実だとしたら、「唐朝は存在していなかった」の投稿が拡散し炎上した背景には、「明朝ファン」の受けを狙った動画が、一方的に勢いを高めた可能性がある。これに関連して『中国社会科学報』も、ネット上には「元朝は中国ではない」「明朝の滅亡と清朝の侵入で中華文明は中断した」という漢民族至上主義者によるとみられる偽歴史論の投稿がこれまでにもあったとした。明朝は漢民族で元朝はモンゴル族、清朝は満州族の政権だ。
習近平体制が「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、歴史と民族的アイデンティティが政治的意味を帯びるなか、受け手側にも王朝の正統性をめぐる言説を受容しやすい土壌があったとも考えられる。ただし唐朝を「中国に属していなかった」として排除しようとする漢民族至上主義的な発想は、公式の「中華民族共同体」論とはむしろ緊張関係にあるといえる。
「唐朝不存在」説は、歴史学的には取るに足りない偽史論である。しかし、中国の党政府系メディアはこれに強く反応した。それは、この問題が単なる歴史デマではなく、ショート動画プラットフォームの流量稼ぎを狙った経済環境、AIにおけるデータ汚染、青少年の歴史認識、中華文明の連続性をめぐる公式の叙述に関わる問題として捉えられたからである。
アルゴリズム時代の中国では、荒唐無稽な偽史論であっても、高速かつ大量に流通すれば、中国の正統性や中華民族文化への誇りを揺るがす公共的な認知リスクとなり、安全保障上の問題として扱われ得る。今回の問題はまさにこのことを示している。