関西の大学院研究科で2年前に筆者の集中講義を受講した社会人院生の石戸信也さん(58)から最近、学位論文を無事提出し、3月の大学院博士課程前期の修了を待つだけとなった旨の連絡を受け取った。この大学院では過去10年間、勤務先の夏休みを利用して1週間缶詰め状態で15コマ(各90分の講義・演習)の授業を行ってきているが、これまで累計100人近い院生の中でも石戸さんは授業への参加態度が最も熱心な院生の一人だった。
それもそのはずで、石戸さんは関西の公立高校で地歴・公民科教諭を長く務めておいでで、一念発起して、長年温めてきたテーマでの学位論文執筆を思い立ち、大学院の門をたたいたのが56歳のときだった。頂戴した神戸からのメールには、「毎週20時間の自分の授業など仕事と両立させながら、勤務後や休日を利用して大学院の研究にがんばってきたつもりです」と、修士課程(博士課程前期)の2年間の多忙な日々を振り返っておられた。加えて週末の土曜、日曜の2日間は、研究テーマである大阪の「三木楽器店」での資料調査に通い詰めだったそうで、論文作成については「58歳の提出で徹夜など無理が利かなくなっており、きつかったです」と本音を吐露されており、学問・研究の道がいかに厳しいものであるか門外漢にも伝わってきた。
公立高校の教諭でありながら、『神戸のハイカラ建築―むかしの絵葉書から』『神戸レトロ―コレクションの旅・デザインにみるモダン神戸』『むかしの六甲・有馬―絵葉書で巡る天上のリゾート』(いずれも神戸新聞総合出版センター刊)など多くの著作や共著がある石戸さんは、地元ではよく知られた郷土史家の顔もお持ちだ。このため、研究者、専門家として「学位などは不要なのでは」というのが筆者の初対面での印象だった。
しかし、すでに郷土史家として立派な業績をお持ちでいながら、新たな研究テーマとして取り組んだのが、「大正末期から昭和初期の商都・大阪の音楽界の状況を、老舗の音楽関係出版社で楽器商でもあった三木楽器店のホールの演奏会などの音楽活動から考察すること」だった。このホールは、1924年(大正13年)に大阪・心斎橋に新築された三木楽器店の社屋に翌年オープンし、ドイツの老舗楽器店スタインウエイ社を模した近代建築は戦災をくぐり抜けて現存しており、現在は国の登録有形文化財に指定されている。
石戸さんは、創業190年を超える三木楽器店の所蔵で未公開だった「三木ホール日記」(大正14年1月~昭和11年4月)の原本に当たって内容を克明に調べることによって、ホールと縁が深い山田耕筰や貴志康一、亡命ロシア人などの音楽活動を浮かび上がらせ、邦楽と洋楽が混在していた戦前の大阪の音楽状況に光を当てたいと考えたわけだ。
石戸さんの学位論文の終章は、「多目的交流の場」として三木楽器店が大阪を中心とする関西の音楽文化に果たした役割を高く評価している。大学院国際文化学研究科の日本学コースで心血注いで完成させた独創性ある論文の視点は、成熟した社会に入りつつある現代の日本や日本人が今後、それぞれの持ち場において果たすべき役割の方向性を示唆しているように思われる。今度は機会があれば、石戸先生から多くのことを学びたいものだ。