第393回 盗難から1カ月余に見つかった愛車の事件顛末記 伊藤努

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第393回 盗難から1カ月余に見つかった愛車の事件顛末記

2カ月ほど前の本欄で、「犯罪被害者を初めて経験しての実感」というタイトルで中古車のマイカーが自宅マンションの駐車場からオートバイに乗った二人組に盗まれた一件を記し、最後に「警察関係者にはぜひとも犯人を検挙していただきたい」と書いた。この一文が本欄に掲載された後、筆者には予想外の展開があったので、事後報告という形で紹介させていただくこととする。

台風の関東接近で大雨が降っていた9月20日未明に愛車が盗まれた後、捜査を担当している警視庁管内のM警察署から何の連絡もなかったので、盗難車は海外に売り飛ばされたか、あるいは解体されて部品として闇市場に流れたのだろうと勝手に推測していた。車の盗難事情に詳しい知人らからも、「残念ながら愛車はもう戻ってこない」といった話ばかり聞かされたため、事件から1カ月余りがすぎた時点で、「多摩ナンバー」の自動車登録などを管轄する立川の陸運局に出向き、盗難理由の廃車手続きを取った。その時点では、十中八九の確率で車が発見されることはないだろうと考えていた。

だが、全くの偶然ながら、その日午後遅くに陸運局での廃車手続きを終え、帰宅する途中に神奈川県警のM警察署から携帯電話に連絡があった。盗まれた車が同署管内で見つかり、レッカー車で警察の駐車場に移動させたので、後日、持ち主確認の立ち会いと車の引き取りのために警察署に出向いてほしいとの連絡だった。何ともタイミングが悪いと思いながらも、気持ちを入れ替え、再び会社の有給休暇を取って、後日、横浜に向かった。

指定日時に横浜市にあるM警察署に出向き、まだエンジンが動く白色のマイカーと再会したが、運転時に車のキーを差し込む「イグニッション」の部分が犯人に壊されていたほか、車の前後のナンバープレートも別の盗難車の偽造された横浜ナンバーのプレートに付け替えられていたことが分かった。状況証拠から、車を盗んだ犯人の目的が車や部品の転売、あるいは遊びで車を乗り回すためではなく、盗難車に「足がつかない細工」を施した上で、何らかの犯罪に車を悪用した可能性が浮かび上がってくる。

神奈川県警M警察署の捜査担当者も筆者に対し、具体的な犯人像には触れなかったものの、本件を単なる車の盗難事件とみていないことを強くにじませていた。大胆に推理すれば、覚せい剤の輸送・運搬など容疑者が検挙を免れるために細心の注意を払う必要のある犯罪に使われたことは十分考えられる。

県警M警察署で、鑑識担当者による車内の指紋採取や証拠写真の撮影を行い、事情聴取に基づく調書作成を終えた後、引き渡しを受けた車を自宅近くの自動車修理工場に運ぶため、会員となっている日本自動車連盟(JAF)の車搬送用の大型車を呼び出し、横浜から都内に戻った。JAFの大型車の運転手はさまざまな事故車両の搬送を日々行っているため、筆者が巻き込まれた車盗難事件にも関心を示し、いろいろと聞いてきた。仕事柄、車の事件・事故に詳しいその運転手もやはり、「犯人連中は恐らく、覚せい剤の運搬といった重大な犯罪にお客さんの車を使ったのでしょう」と話していた。また、筆者の中古車を盗んだ理由については、カギがなくても盗みやすく、スピードが出る車種であることで狙われたのではないかと推理していた。

修理費が安く済みそうなので、車を整備した上で、再び使うことを決めたが、盗難後に任意の自動車保険を中途解約し、廃車手続きも済ませたため、車検を取り直すなどの面倒な手続きがいろいろとある。車は何とか戻ってきたが、「警察には犯人をぜひ検挙してほしい」という気持ちが一層強まった。

 

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