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第391回 伝統あるクラブの名物料理を堪能して 伊藤努

第391回 伝統あるクラブの名物料理を堪能して 伊藤努

第391回 伝統あるクラブの名物料理を堪能して

今から30年ほど前の昔の話で恐縮だが、当時駐在していた西ドイツから時々、隣国オーストリアの首都ウィーンに出張する機会があった。仕事の出張では観光などには全く目が向かない当方だが、ウィーンの出張時だけは、仕事の空き時間を見つけては近郊のウィーンの森にある新酒ワインの飲める酒場街「ホイリゲ」によく通った。ホイリゲで飲むワインは決して高級な代物ではないが、木々が茂った庭先に並べたテーブルで陽気に飲み、食べるのは伝統が醸し出す雰囲気もあって、いつも心地よい気持ちになったことをいまだに覚えている。

なぜ、30年も前の体験を思い出したかと言うと、最近、ホイリゲでよく食したウィーン名物の「カツレツ」によく似た美味に東京で出会ったからである。過日、仕事でお付き合いのある人生の大先輩のHさんに誘われて、都内にある格式高い会員制クラブで夕食を取りながら歓談したが、そのときに奨められたのがメニューに載っていた「カツレツ」だった。簡単には入会できないこの会員制クラブに30年在籍し、最近、80歳になられたHさんはクラブの内規で「名誉会員」の資格を与えられたが、そのようなクラブの大御所のお奨めを断るにはいかないというわけで、筆者も同じメインディッシュを注文した。

何でも、このクラブのカツレツは天皇、皇后両陛下も大変気に入れられており、ここで食事をされる折によくご所望されるという一品とのことで、このことを耳打ちされ、料理に対する興味も倍増した。クラブご自慢のカツレツが運ばれてくるまでの間、ウィーンの出張時によく食べたカツレツを思い出し、Hさんにホイリゲでの楽しさなどをお話したのだが、カツレツ談義に花が咲いた。

さて、テーブルに並んだ名物料理の一品は、パン粉がキツネ色に揚がったカツレツの上にレモンスライス、アンチョビが添えられ、同じ皿にはホウレンソウとキノコを配し、彩りも鮮やかだった。もう一つ気づいたのは、カツレツをナイフとフォークで切り分けても衣の部分と仔牛肉が離れることなく、ピタッとくっついていたことだ。町の洋食店で食べるカツレツは往々にして、衣と肉の部分が離れてしまうのだが、さすがクラブご自慢のメニューだけあって、仕上げに狂いはない。ウィーンで食したカツレツと同じ味わいだったのがちょっとした驚きでもあった。

人間の記憶というものは年月がたつにつれ、あいまいになったり、忘却の彼方に消え去ったりしてしまうものだが、味覚のセンサーとなり、それを記憶する舌の能力には改めて驚かされる。人々がそれぞれ、食べ物にお気に入りと言える好物があり、それを何度も堪能しようとするのは、舌も大きな役割を果たしているに違いない。思いがけなく伝統あるクラブの名物料理を味わい、30年前と現在、ウィーンと東京という「時空を超えた旅」を楽しんだ一夜となった。

 

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