前回のバナナに続いて今度は魚のスズキについての個人的エピソードを紹介したい。食い意地が張っていると思われそうだが、実際に味わった舌の記憶やその時の思い出などはなかなか消えないものだ。そのスズキはアジアと欧州の境界といわれるトルコのボスポラス海峡で取れたもので、激しい潮流がある海で育ったためか、一匹まるごと出された白身の魚は引き締まってすこぶる美味だった。何でも、イスタンブールではスズキのグリル焼きは名物料理とのことだ。
おいしかったのは地元の名物料理であれば当然のことかもしれないが、その時は地中海料理の影響でグリルにしたスズキをオリーブの味付けで食した。しかし、もう一匹食べられるのであれば、調理師に塩味か醤油を使った料理法をお願いしたいというのが同行した記者仲間の一致した意見だった。日本人の舌はやはり塩味、醤油味がおいしいと感じるDNAがあるのだろう。
「サシミ、サシミ」--。市内見物をしながらイスタンブールの港近くの橋を歩いていると、露天で魚を商っているトルコ人の若者から声を掛けられた。日本語はコンニチワとアリガトウに加え、サシミ(刺身)という単語しか知らないようで、「自分の店には新鮮な魚の刺身があるので、食べていけ!」ということらしい。この取材旅行ではおいしいスズキ料理を食べたこともあり、誘いに乗って小さな店に入ると、確かに生の魚の切り身が出てきたが、同時に出されたのがソースだったのには驚いた。つまり、サシミはソースにつけて食べるものだと思っているらしい。
この時点で、出されたサシミなるものを生で食べるのをあきらめた。店の若者には、日本では、刺身はソースではなく、英語で「ソーヤソース」という大豆で造られた醤油をつけて食べていること、また、生臭みを消すためにワサビやショウガなどの薬味を添えることなどを教えてあげた。そして、ソースは揚げ物などの肉料理に使うことも説明した。こうした食べ方を知らずにサシミを薦めた若者は、いい勉強になったという顔をして神妙に聞いていた。
そこで、出された魚の切り身はグリルにしてもらい、これまたオリーブ油の味付けで食べたが、新鮮な魚だったこともあって、おいしかった。日本から小さな瓶か小袋に入った醤油を持参しておけばよかったと少しばかり後悔した。
実は、このイスタンブールでの出来事の数年前にも、当時のユーゴスラビア(その後の内戦で旧ユーゴは解体)のアドリア海に面した港町でも似たような経験をしている。その時はスズキではなかったが、アジのような焼き魚料理の味付けがオリーブ油ばかりだったので、たまには塩ないしは醤油を使った方法で味わいたいと思ったものだ。
こうした旅の経験から、その後の海外取材では、小袋に入った醤油や日本茶のティーバッグ、ホテルの自室で飲む酒のつまみとなるような日本製の乾き物数点はボストンバッグの片隅に入れるようにしている。日本の味が海外でも身近にあると、大げさにいえば、精神安定剤にもなるのである。