先の一連のタイ騒乱のニュースを伝える新聞記事の中で懐かしいタイ人の名前とバンコクの地名が出てきた。タイ人は、タクシン元首相派の反政府抗議行動を支持し、大規模集会の場を提供したなどとして逮捕状が出たプラティープ・ウンソンタム・秦さん(元上院議員)で、地名はバンコク最大のスラム、クロントイ地区だ。ご存知の方も多いだろうが、「スラムの天使」と呼ばれるプラティープさんは長年、自分が生まれ育ったクロントイ・スラムで貧しい住民の生活改善や子供の教育施設を充実させる取り組みを行っている。
筆者がバンコクに駐在していた1990年代後半に、バンコク中心部にほど近いクロントイ地区を何度か取材で訪ね、プラティープさんに話を聞いたことがある。プラティープさんが赤シャツ隊の元首相派を支持しているのは、タクシン氏の政権担当時代、貧困層の住民に対する手厚い施策や麻薬取り締まり強化の方針を掲げていたからだ。数十万といわれる住民が暮らすバラックや小屋が密集するクロントイ地区では、麻薬や薬物の取引、密売が横行し、その常習者も多く、プラティープさんは絶対的な貧困と教育の立ち遅れが麻薬患者を大量につくりだす原因だとみていた。
スラムの取材で忘れられないのが、スラムを視察しにきた小渕恵三外相(後の首相、2000年に死去)を間近に見たことだ。首相に就任する少し前の1998年5月初めだったが、太陽がカンカンと照る暑い日で、かすかな異臭が漂う迷路のようなスラム内の路地を日本の有力指導者がスタスタと歩いている姿が何ともミスマッチに思えた。暑かったせいもあって、白昼夢のような錯覚にとらわれたことを記憶する。
タイを訪問した当時の小渕外相がスラムを訪れたのは、政府の草の根無償援助で改修された幼稚園などの教育施設を視察するのが目的だったが、広場で行われた園児の歓迎の踊りを見ながら、噴き出す汗を気にすることもなく、盛んに拍手をしていた。実直な小渕さんらしい一面を見た気がした。歓迎した園児たちも、目の前にいる日本人が、「経済大国ニッポンの偉い人」だとは知らなかったであろう。和気あいあいとした自然な交流イベントのような感じだった。
小渕さんもバンコクのスラムを視察したことを通じ、繁栄する大都会の足元で、劣悪な住環境の中で生きていかざるを得ない住民が数万、数十万の単位でいることを肌で感じたに違いない。タイ騒乱の背景にある貧富の格差は、小渕さんがスラムを視察したときとほとんど変わっていない。いや、多くのスラム住民が流血をいとわずに抗議に立ち上がったところを見ると、当時よりも格差は広がっているのかもしれない。