約6年前の2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード(M)9.0の巨大地震が発生し、大津波によって同国のみならず、タイ南部やミャンマー(ビルマ)、スリランカ、インドなどで死者・行方不明合わせて22万人以上が犠牲になったことはまだ記憶に新しい。この巨大地震が起きた時にたまたま勤務先の本社編集局の担当セクションでデスク役を務めていた筆者は、地震に伴う巨大津波がインド洋などを横切り、遠く離れた外国の各地でも大きな被害を出したことに驚いた。その中には、バンコク特派員時代に国際会議カバーのための出張や家族旅行で何度も訪ねていたタイ南部のリゾート地、プーケット島が含まれ、同島が壊滅的被害を受けたことを間もなく知った。
震災文庫
欧米、特にドイツ人に人気があったプーケット島は、きれいで穏やかな海浜に加え、周辺に美しい島々や洞窟といった観光スポットも多く、一流のホテルやレストランなどの施設と併せ、国際的な観光地になっていた。そんな地上の楽園が、何波にも及んだ予期せぬ大津波によってこの世の地獄の様相を呈したことはテレビ映像で何度も映し出された。家族旅行の際、小島の洞窟などを観光船で見学した記憶があっただけに、もしその場に居合わせていたら、自分たちが海の藻屑となっていたはずだ。多くの犠牲者の冥福をお祈りすると同時に、人間の運不運を強く感じた。
タイ南部の幾つかの県を襲ったこの巨大津波の災害報道に従事する中で、プーケット島近くに浮かぶ小島では住民の避難が早く、一人の犠牲者も出なかったことが数日後に分かった。何でも、この島には津波に関する言い伝えがあり、海面の異常で津波襲来の気配を察知した島の古老がいち早く、住民に高台への避難を呼び掛け、事無きを得たということだった。地震や津波、火山噴火など人間の力ではどうすることもできない自然の猛威に対して、被害を最小限に抑える言い伝えのような人知の効用を改めて知る。
阪神・淡路大震災を伝える「号外」