上座部仏教のタイでは殺生を嫌う。飼っている犬猫はもちろんのこと、金魚や亀と言った水産動物も大切にしていて病気や怪我をすれば当然病院に連れて行く。タイの国王の名を冠した名門チュラロンコーン大学医学部は評判が高い。水産動物の「赤ヒゲ先生」、N教授は毎日診察や手術で忙しい。
バンコク市内の大学病院には多数の水槽が置かれ、患者(水産動物)が入院している。脳に障害が起き半身不随となり長期入院しているコイ、池から飛び出し背骨を傷めたアロワナそれに車に引かれ足を骨折した亀など症状は様々だ。低料金で患者の立場に立って診療してくれるので病棟の水槽はいつも満員だ。
皮膚に腫瘍ができた金魚の手術に立ち会った。手術室に運ばれた大型の金魚はバケツの中で元気なく横たわっていた。助手が麻酔薬をバケツに入れると15分ほどで意識が無くなり動かなくなった。手術台に乗せられた金魚のえらには常に新鮮な水が供給される。(写真)皮膚の患部は少し膨れ上がり周りの鱗が取れている。N教授は素早く患部にメスを入れる。2分ほどで腫瘍は摘出され、最後に注射をして手術は終わった。
水槽に戻されても金魚はぐったりとしていたが、30分ほどで麻酔が切れよたよたと泳ぎ始めた。摘出された腫瘍を調べていたN教授が腫瘍は悪質なものではなく間違いなく回復すると断言した。手術から2週間後飼い主が金魚を引き取りに来た。金魚は水槽の中で元気に泳ぎ回り、笑みを浮かべる飼い主と共に退院して行った。
重傷を負った大型の亀が緊急入院してきた。40センチほどもある亀は道路を歩いていて大型のトラックに轢かれてしまったという。甲羅は割れ、亀はぐったりしている。気のせいか亀は涙を流しているように見えた。亀は甲羅が割れると割れた部分からウィルスが侵入し死亡する。N教授は亀を素早く消毒し入院させた。
病院に付属する工房に亀の甲羅のサイズに合わせた石膏とプラスチックでできたギブスが発注された。何度もサイズを量り、甲羅にぴったりのギブスを作らなければならない。1週間後、甲羅を守るギブスが出来上がった。ギブスは甲羅にぴったりと合い、亀も嫌がる様子を見せない。
N教授によれば特にバンコクは近年交通量が増え、車に引かれて運ばれてくる亀が多いという。亀のような野生の場合は診察料や入院費は取れないとN教授は苦笑いを浮かべた。近代化と共にタイにも拝金主義が広がっている。水産動物の赤ヒゲ先生を取材しどこかホッとした気分になった。
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