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第384回 変わり身の早いカンボジアのフン・セン首相  直井謙二

第384回 変わり身の早いカンボジアのフン・セン首相  直井謙二

第384回 変わり身の早いカンボジアのフン・セン首相

フィリピンの訴えを受けオランダの・ハーグの仲裁裁判所は7月中旬、南シナ海を巡る中国の主張を真っ向から否定する判決を出した。7月末、判決後初めてラオスの首都ビエンチャンで開かれたASEAN外相会議はどういう共同声明を出すか注目されたが、判決内容に触れないなど中国に配慮した声明となった。中国によるラオスやカンボジアへの経済支援と王毅外相らの外交攻勢でアセアンが分断された。

7月中旬にはASEMアジア欧州会議で中国は両国に経済支援を約束していた。南シナ海の領有権問題を抱えるフィリピンやベトナムは共同声明に不満だったに違いない。仲裁裁判所に訴えたフィリピンもさることながら、かつてカンボジアのフン・セン政権を支援していたベトナムは複雑な気持だったと推測される。79年、フン・セン現首相を含むポルポト派の兵士の一部がポルポト政権に反旗を翻し、ベトナムでヘン・サムリン政権を樹立、ベトナム軍と共にカンボジアに侵攻した。ポルポト政権は首都プノンペンから追放され、カンボジア内戦が始まった。

内戦はヘン・サムリン政権対シアヌーク派、ソン・サン派それにポルポト派の民主三派連合の対立となった。ブルネイを加え6か国となったASEAN諸国は域内の経済活動を活性化させるためにもカンボジア内戦の解決は欠かせないことからインドネシアが中心になって議題を設定しない国際会議を提唱した。対立する当事者がともかく顔を会わせようという狙いだ。

1988年7月、提唱国のインドネシアのジャカルタでJIMジャカルタ・インフォーマル・ミーティングが開催され、筆者も取材した。ASEAN6か国とベトナム・カンボジア連合は激しく対立した。ベトナムからはグエン・コ・タク元外相が、カンボジアからはフン・セン首相兼外相が出席したが、つねにタク元外相がリードし、フン・セン首相は寡黙だった。会議後、タク元外相は厳しい表情で記者会見に臨み、ベトナム軍の侵攻とフン・セン政権の正統性を声高に主張した。(写真)

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時は流れ、カンボジアのフン・セン首相はかつてポルポト派を支援し敵対関係にあった中国に配慮し、いきさつを忘れたかのように南シナ海問題などで中国寄りの姿勢を示している。南シナ海問題で中国と対立するベトナムにしてみればポルポト派を排除し政権樹立まで支援したフン・セン政権が中国に沿った言動を取ることは不満であるに違いない。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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