第357回 ホーチミン市にある商業ビルの由来 伊藤努

カテゴリ
コラム 
タグ
アジアの今昔・未来 伊藤努  News & Topics  霞山会 

第357回 ホーチミン市にある商業ビルの由来

筆者は報道の仕事に長く従事してきたので、モノをつくるメーカーや資金を融通する金融など実体経済のことには疎いのだが、最近、ベトナムを旅してみて、自分が関わった現地での投資事業案件が地元の経済や消費者など社会に還元され、人々の生活を豊かにしている具体例を目の当たりにする機会に恵まれた。例えば、日本でも建設会社に勤務していれば、高層ビルや高速道路、大きな橋、長いトンネルなどを造ったりする大規模事業の現場に立ち会うことができるわけで、こうしたゼネコンなどの仕事も人々の生活を豊かにする企業の社会的役割を果たしていると言えるだろう。

前置きが長くなったが、昨年秋の駆け足でのベトナム取材旅行の最終日、南部の商都ホーチミン市(旧サイゴン)での夕食を、知人の経営コンサルタントであるH氏の招きで地元では有名なデパートのレストランで取ることになった。聞けば、市内の一等地に立つ地上13階・地下2階建てビルは、H氏が20年以上も前に、知り合いの日本企業の投資家から全権を任され、現地資本との合弁で建設したオフィスビルで、施工は日本のS建設である。ただ、現在はビルのオーナーも代わり、レストランなどが入居するデパートに模様替えしている。

ホーチミン市商業ビル4階にあるベトナム料理が豊富なレストラン

1990年代半ばの設計、起工のときはベトナムの経済発展が本格化し始めた時期であり、海外からの進出企業などのオフィス需要が高まるとみての高層ビル建設だった。しかしその後、周辺が商業地区ということもあって、店舗を構えたいというテナントが相次ぎ、いつの間にかしゃれた雰囲気の商業ビルに変身したというわけだ。4階にあるベトナム料理が豊富なレストランはビュッフェ形式で、地元の家族連れや若いカップルでにぎわっていたが、一流の店でありながら、やはり違和感のあったのは天井の低さだった。初めから大きなレストランが入居するのであれば、天井を高くするよう設計したのだろうが、賃貸用のオフィスビルということであれば、ちょうどの高さということになる。

H氏はホーチミン市でこのオフィスビルを手掛ける前に、首都ハノイでもベトナム資本と合弁の初のビル建設事業の投資責任者として関わっている。いずれも、H氏がベトナム進出日系企業向けの経営コンサルタントとして独立した当初に手掛けた案件で、さまざまな当事者が関わる複雑な投資事業を計画通りに仕上げていく苦労は並大抵のことではなかったに違いない。

しかし、歳月は流れ、自分が手掛けた商都の高層ビルが日々、多くの市民や消費者に愛され、利用されているのを見るのは、第二の母国でもあるベトナムの発展を願って働いたH氏としては、経営コンサルタント冥利に尽きるだろう。H氏が実の息子のようにかわいがっているベトナム人の若者から、この商業ビルの人気の秘密も聞くことができた。レストランがベトナム料理を含め周辺のアジア諸国のおいしい料理を味わえる貴重な場を提供しているのであれば、これは立派な食文化交流でもある。

 

《アジアの今昔・未来 伊藤努》前回  
《アジアの今昔・未来 伊藤努》次回
《アジアの今昔・未来 伊藤努》の記事一覧

関連記事

〔36〕大連経由と朝鮮経由の大陸旅行者誘致競争 小牟田哲彦(作家)

“大陸花嫁”の追い出しによって一段と対立深める中台海峡両岸―双方強気な姿勢崩さず 日暮高則

第1回 近衞文麿とその周辺 嵯峨隆