第353回 垣間見たベトナムの交通事情(下) 伊藤努

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第353回 垣間見たベトナムの交通事情(下)

ベトナム南部の商都ホーチミン市でも北部にある首都ハノイでもものすごい数のオートバイが道路を我が物顔で走り回っている背景には、鉄道や路線バスなど都市の公共交通機関が未発達なのに加え、二輪車が人の移動と物資の輸送で大きな役割を果たしていることもあるようだ。オートバイ利用者に女性が多いのも日本などとは違う光景で、二輪車の3人乗りや荷台から大きくはみ出した荷物の運搬は非常に危険に見えるが、この国では当たり前のこととなっている。

これだけ大量のオートバイが互いに混雑する道路ですれすれに近づきながら、接触や衝突事故をあまり起こさないのは運転やハンドル操作のうまさによるものかは判然としない。普段、オートバイの事故を見掛けないとはいえ、全国での事故発生件数は相当な数に上り、当然のことながら死傷者も多い。ベトナム政府当局はオートバイ事故による死者の数が増加の一途だったため、数年前に運転者にヘルメット装着を義務付け、これにより死者は減少に転じているという。

ホーチミン市中心部にある統一会堂前の道路を走る二輪車の群れ

ベトナムの交通事情を見ていて気づく現象の幾つかは、自動車の運転手がやたらにクラクションを鳴らすことであり、四輪車の走行にとって邪魔な存在とも言えるオートバイに対して自動車側が寛容な態度で接していることだ。こうした現象は一種の道路交通文化と言えるのだろうが、日本でこんなにクラクションを鳴らしたりすれば、たちまち運転者同士による口論、けんかに発展してしまうだろう。

大量に走り回るオートバイに対して寛容なのは、仕事で乗用車などの四輪車を利用する運転者が私用ではオートバイに乗っているという事情もあるようだ。たまたま、中部にある港湾都市ダナンに滞在していた折、投宿先のホテルで運転手として働くTさんが通勤時に自分のオートバイで仕事場に来たのを知った。ベトナムでは乗用車やワゴン車は自腹で購入するには高価な乗り物であり、富裕層でなければ簡単に手が出ない高嶺の花と言えるのではないか。

以前に駐在していたタイの首都バンコクなどでは、経済発展に伴う所得増加などでマイカーが身近な存在となり、新車販売台数が順調に伸びていったが、ベトナムではまだそうした経済状況にはなっていない。また、オートバイ利用者の心理としては、道路の大渋滞に巻き込まれることが多い四輪車に比べ、二輪車の方が小回りも利き、移動時間が短縮できる利点があると考えても不思議でない。今回のベトナム旅行でガイド役を買ってくれた地元の若者は富裕な一族出身だったが、「現在の道路事情では車よりオートバイの方が便利」と話し、別れ際、ヘルメットをかぶるとさっそうとオートバイのエンジンをふかし、帰宅の途に就いた。

日本でモータリゼーション(乗用車の普及)が始まった高度経済成長の1960年代から70年代にかけ、若者たちはドライブが楽しめる車に夢中になったものだが、同じような経済発展段階にあるベトナムでは事情はやや異なるようだ。しかし、恋人同士とおぼしき若い男女や親子連れの一家が抱き合って小さなオートバイに乗っている光景を見ると、人間的な接触の密度が高いなと、少しうらやましくもなる。不思議な感慨にとらわれたホーチミン市の幹線道路でのオートバイの大洪水だった。

 

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