N氏は東京・八王子に在住なので、「わたしのおんぼろマイカーでN氏を途中で拾い、中央自動車道で茅野に行きましょう」とメールで連絡したところ、茅野に近い小淵沢に「小屋」があるので、中央本線を使って小淵沢まで来てくださいと返信があった。
N氏との付き合いは長いが、小淵沢に「小屋」を持っているとはつゆ知らず、新宿から特急「あずさ」に乗り、沿線の春景色を楽しみながら、小淵沢に向かった。特急停車駅の小淵沢は八ヶ岳への玄関口で、高原鉄道で知られる小海線の出発駅でもあり、昔ながらの駅舎は風情があった。
駅まで迎えに来てくれたN氏の車に乗り、よく整備された県道・市道を経由して1時間ほどの茅野に向かった。車中では、定年後の生活設計を描きながら7~8年ほど前に八ヶ岳山麓にセカンドハウス(別荘)を購入したことや、寒冷の冬を除く春夏秋は週末に、八王子の自宅から2時間ほどかけて通っていることを教えてくれた。茅野までの道中は360度すべてが甲斐、信州の山々で、4月下旬というのに、遠くに望む山肌には残雪があちこちにあり、満開の山桜や新緑の木々の色合いの妙と併せ、のどかな山里の風景に見とれた。平和という言葉そのものの世界だった。
登山家で作家の深田久弥氏の名著「日本百名山」に出てくる名峰が幾つもあるこの地域の山々や自然が自分の庭のようなN氏の説明を聞いていて、信州などは全く土地勘がなく名山にも門外漢の自分が車で誘ったことに内心恥じ入った。知らなかったこととはいえ、予想外の道中の展開に驚いた。
中央本線・茅野駅の目の前にある市美術館で中村梧郎展の作品群をゆっくりと見て回ったが、ベトナム戦争中の米軍の枯れ葉作戦による強毒化学物質ダイオキシンを浴びた無数の犠牲者たちの姿を追った写真展だけに、道中に目にしたのどかな山里の風景とのあまりの落差に言葉を失う思いにとらわれた。
発がん物質でもあるダイオキシンの被害は枯れ葉剤が大量にまかれた戦火の中で暮らしていたベトナムの地元住民だけでなく、その有毒性を全く知らされずに熱帯の密林で戦った米軍兵士や、増援で駆けつけた同盟国・韓国の猛虎師団兵士とその子供、孫たちにも累が及ぶ。戦争の不条理、非人間性をモノクロ写真で静かに告発するベトナム戦争終結40周年の写真展から学ぶべきものは多い、と帰途の車中でN氏と語り合った。
茅野美術館チラシおもて
茅野美術館チラシうら