第309回 勉学の興味を引き出してくれたK先生 伊藤努

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第309回 勉学の興味を引き出してくれたK先生

大学入試の改革問題や英語授業の小学校での導入など、教育をめぐる議論が相変わらず盛んだが、大学までの教育を大過なく終え、社会人となって40年近くにわたり国内外で仕事を続けた立場から、ささやかな個人的な教育体験を披露して、昨今の教育論での参考に供したいと思う。

子供の成長段階というのは個人差が大きいと思うが、筆者の場合、学校の勉強で幾つかの教科に関心を持ち始めたのは小学校3年、つまり9歳前後だったと記憶する。たまたま、大学を出たての若い女性教師にささやかな作文を褒めてもらい、「鉄塔」という名前のガリ版刷り学校文集に初めて掲載されたことがうれしかった。そのときのK先生の評が、文章の上手下手よりも、家で飼っていた雑種の愛犬コロの散歩時の駆けっこの描写の一点を褒めてくれたことを今でも覚えている。

そんなことをきっかけにして、父がたまたま買い与えてくれた地図帳に関心を持って、それを時間があるときに眺めていたり、兄と一緒に日本列島の地図を紙に書いてみては都道府県の地名を覚えたりと、好き勝手に知識を吸収するようになった。

小学4年になったとき、横浜市と隣接する川崎の隣町に引っ越したので学校も転校することになった。同級生も学校の先生もがらりと変わり、少しばかり不安に思ったことは確かだが、転校早々の4年生2学期の社会科のテストで、たまたま日本地図を基に都道府県名と県庁の所在地を書く問題があり、自宅で遊びながら覚えていたこともあって、学年で唯一、全問正解ということで、学校内で一躍有名になってしまった。

他の教科の成績は大したことはないのだが、「今度の転校生は社会科だけはよくできる」と職員室でも有名になったことを後に知った。それからというもの、社会科のテスト、試験だけはちゃんとできないと、後ろ指を指されるといった気持ちにもなって、中学、高校と社会科関連の科目だけは一生懸命に勉強した記憶がある。

自信とは不思議なもので、社会科でいい成績が取れれば、好きな教科でそれなりの勉強をすれば、そちらも好循環になることが分かってきた。もちろん、中学校の主要5教科すべて、高校の主要科目のすべてで最高レベルの成績をとるのは至難の業だが、そのうちの7割程度の科目では、努力次第でまずまずの成績を収めるパターンを身につけたように思う。

こんなささやかな小学生、中学生時代の個人的体験だが、何かを好きになること、そのために勉強してそれなりの成績を収めることによって、大きな自信が得られる。片寄った見方かもしれないが、学生時代に学んだ社会科、英語、国語が社会人生活を有意義に送る上で、小さからぬ武器となったのは間違いない。

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