人間の身体的能力の限界に挑戦するのがアスリートの特徴の一つだが、数多くある競技でも肉体的に過酷なものの代表がトライアスロンだろう。競泳、自転車、長距離走の3つの異なる種目を一人の人間がこなすが、トライアスロンでも3つの競技の距離によって、ショート(距離が短い)、ロング(距離が長い)があり、ロングの方が上級者向けということになる。
会社の後輩で営業マンのT君は現在、39歳の働き盛り。トライアスロン歴9年の猛者だ。仕事も一生懸命こなすが、それと同じくらい、日々、3つの種目のトレーニングを欠かさない。もちろん、自転車競技の練習は都内での走行(実走)は危険でもあるので、普段はトレーニングジムでの備え付き機械を使ってペダルをこぐ。所有している自転車はイタリア製で価格が150万円もするという高級品で、愛車を使った実走の練習は実家のある新潟県内で行うのだという。また、自宅は長距離走の練習に便利な代々木公園や練習用プールの近くといった具合で、トライアスロンが趣味を超えた生き甲斐になっているかのようである。
トライアスロンの愛好者は、沖縄の宮古島や新潟の佐渡といった遠隔地での競技大会参加の旅費などかなりの費用がかかるため、日常生活も節約を心掛けたり、常に肉体的鍛錬を怠らないといった風に禁欲的かつ自分を律することに長けているとT君をみて思う。
たまたま、高校時代の先輩に紹介された新宿のゴールデン街近くの小さなスナックのマスターがトライアスロンにのめり込んだ方だったので、T君を飲みに誘って二人を落ち合わせた。マスターのOさんは63歳で、T君に比べて競技歴が長いが、互いに「トライアスロンが命!」というような人間なので、あいさつもそこそこに意気投合。競技大会での成績や競技仲間の消息、使っている自転車の装備などの専門的なことまで話題が尽きない様子だった。
カウンター席の横で話を聞いていて、世間は狭いなと思ったのは、ベテランのOさんも3つに種目の練習に便利ということで、T君と同様に代々木公園近くに居を構え、二人の自宅が歩いて10分程度の至近にあるのに驚いた。
トライアスロンがいかに過酷な競技かは、競技が進むにつれ、自分の肉体が限界に近づいているのが分かるという二人の共通した感想だった。聞けば、競技の発祥の地は米国のハワイで、猛者で知られる米海兵隊員が肉体の限界に挑戦するために仲間たちと始めたスポーツであることを初めて知った。「伊藤さんも、ショートから始めませんか」と二人から誘われたが、水泳が大の苦手の自分には不向きだと説明して、丁重にお断りした。