今年の日本列島は酷暑が例年より早く訪れたようで、各地で熱中症患者が相次いでいる。熱中症で思い出すのが、母親の祖国タイに凱旋帰国したプロゴルファーのタイガー・ウッズ選手のプレー中の脱水症状に伴うリタイア(プレー中止)事件である。当時はゴルフのことなどよく知らぬ筆者はたまたま、東京本社の運動部デスクからの取材依頼でウッズ選手のプレーを取材していたが、体力に自信があるはずの同選手も飛行機での長距離移動に加え、時差、南国タイの半端でない暑さでさすがに体調を崩したようだった。
このリタイア事件は今から十数年前の話で、記憶されている方も少ないに違いない。米国のウッズ選手がプロ入りして間もないころで、スーパースターの階段を上り始めた時期だ。今でこそ、彼の名前を知らぬ人は少ないだろうが、東南アジアで政治や経済の取材に没頭していた筆者はこの黒人ゴルファーについての知識はゼロだった。そんな記者に取材依頼が舞い込むのだから、世の中は不思議である。
ゴルフの取材方法や原稿の書き方も知らないわたしは、今は福岡を拠点にする大手新聞社の社長を務めているバンコク記者仲間のKさんに教えを願った。訳が分からないまま不完全な原稿を東京に送るよりも、ここは恥を忍んでゴルフ取材のイロハを急ぎ学んだ。K記者は本社勤務時代に運動記者を経験していたので、ゴルフ取材はお手のものだった。
K記者にくっついて、ウッズ選手を初めて目にするとともに、ラウンドに入る前の練習を見学した。ティーショットの練習をしていたが、一見ゆったりとしたスイングから飛ぶボールはほとんど同じ放物線を描き、ほぼ同じ地点に落下する。世界の一流選手の技術とはそういうものなのだろうと感じ入った。
ウッズ選手が参加した大会は正式のものではなく、「プロアマ戦」と言って、プロ選手とアマチュアのゴルフ愛好者が交じってコースを回る形式だった。一緒にラウンドするのは、当時のタイ駐在大使のO氏で、大使には事前に、間近に見たウッズ選手のプレーの印象や感想を聞く手はずを整えていた。しかし、数ホールを終えた時点で、ギャラリー注視のウッズ選手はまさかの脱水症状で体調を崩し、あえなくリタイアとなったのだ。
ウッズ選手はその後、何年にもわたってツアー優勝を重ね、ゴルフ界に名前を刻んだのはご存知の通りだが、数年前に大々的に報道された不倫騒動にはまたまた驚かされた。アフリカ系の米国籍の父親、タイ人の母親の間に生まれたウッズ選手は類まれなゴルフの才に加え、慈善事業に取り組んだり、「孝行息子」の人格者としても知られていた。人生の有為転変は分からないものである。