第125回 編集助手から国際機関職員になったYさん 伊藤努

第125回 編集助手から国際機関職員になったYさん
先日、都内にある国際機関主催のパーティーがあり、会場入り口で受け付けを済ませると、背後で女性から声を掛けられた。昨年転職して、その国際機関に勤務しているYさんだった。2年ぶりの再会である。「最近、ベトナムとミャンマーに出張してきたのですよ」という話しぶりに現在の仕事の充実感がうかがえ、うれしくなった。
Yさんは昨年まで、筆者の勤務先のシンガポール支局の編集スタッフの1人として、得意の語学力を生かしながら、地元英字紙から必要なニュースを拾い、それを日本語の記事に作成する仕事に従事していた。中国や東南アジアには海外支局が幾つもあるが、各支局にはYさんのように語学が得意な日本人の編集スタッフが何人もいて、会社の業務を支えてくれている。
そうした海外支局の現地編集スタッフの中で、なぜ彼女のことを知っていたかというと、数カ月に1回程度の頻度で書いてもらうアジア関連の短いコラムの文章がいつも上手だったためだ。コラムで取り上げる話題から、Yさんが日本の大学を卒業した後、タイのバンコクにある名門チュラロンコン大学に留学していたことも分かった。タイで生活した人でなくては書けないようなアジアの人々の心の機微や文化の特徴、周辺各国との関係などが綴られ、アジアに駐在する読者の参考になるヒントがちりばめられていた。

勤務先の国際機関主催のパーティーで歓談するYさん
先のパーティー会場では、「確か、わたしの就職と勤務先は知らせましたよ」「いや、聞いていないなー」と水掛け論になってしまったが、2年前に東京で初めて会った時よりも生き生きとした表情をしていたのが印象的だった。
Yさんのように、海外での生活や仕事を夢見て日本を飛び出す若者は少なくないが、正規採用ではないと、勤務条件はそれほど恵まれていないケースが多い。それでも自分が好きな仕事なら我慢もできよう。しかし、社会経験を積み、もう少しスキルアップした仕事に就きたいと思ったら、思い切って一歩を踏みだすことだ。国際機関のスタッフとしてアジア各国を飛び回る仕事を手にしたYさんとのちょっとした関わりを通じて、そう思った。