どの国にもそれぞれ捨てがたい魅力というものがあるが、筆者の周りにはどういうわけか、ベトナムに魅せられたビジネスマンやジャーナリストが多い。最近、仕事のインタビューでお会いした報道写真家の中村梧郎さんもそんなお一人だ。
国立大学教授の経験もある中村さんは70代になった今なお、現役の写真家として活躍している。20代でこの世界に入ったので、キャリアは半世紀近くに及ぶ。若いころはベトナム戦争(1960~75年)の時代で、ベトナムやカンボジアの戦場を駆け巡った強者(つわもの)だ。
サイゴン陥落から1年後の1976年、中村さんは報道写真家としてのライフワークとなるあるテーマにぶつかる。米軍が戦争中、ゲリラ掃討作戦のため、ジャングルなどにまきちらした枯れ葉剤の被害者とみられる障害を負った子供たちを取材したのがきっかけだった。日本でもよく知られている結合双生児のベトちゃん(その後、死去)・ドクちゃんも、2人の誕生時から取材している。
筆者も記者の端くれで、米軍による枯れ葉剤作戦の結果、この化学兵器に含まれていたダイオキシンの影響とみられる病気や障害が多数発生し、ベトナムの住民だけでなく、米軍兵士の間で、がんの発症が相次ぎ、先天的障害を持った子供も次々と生まれているのを知っていた。今も残る戦争の痛ましい傷跡だが、米政府は一貫して、ベトナム帰還米兵以外にはこの因果関係を認めず、被害者の賠償などに一切応じていない。大国・米国のもう1つの「顔」である。
中村さんは枯れ葉剤が多く散布されたベトナム最南端のカマウ岬で、ジャングルが消滅し、動植物が死に絶えた砂漠のような光景に衝撃を受け、「これはほっておけない問題だ」と直感。枯れ葉剤被害の実態の取材にのめり込んでいく。地を這うような取材活動の様子は、ご自身の故郷のテレビ局、長野放送制作のドキュメンタリー番組「枯れ葉剤被害は終わらない~報道写真家・中村梧郎の30年」に詳しく描かれている。
「枯れ葉剤の問題を取材してきて、このような悲惨な結果を引き起こしているんだと一番知らせたいのは米国の人たちに対してだった」。こう話す中村さんは、多くの困難を乗り越えて、枯れ葉剤被害の実態を追った写真展をニューヨークなどで開催している。冒頭で、ベトナムに魅せられた人と書いたが、中村さんにとって、真実を追求し、弱者に寄り添う写真家を育てた原点がベトナムだったということだろう。
次回は、埼玉県の南浦和にある中村さんの書斎にお邪魔して行ったインタビューのさわりを紹介したい。