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第115回 同窓の女性外交官 伊藤努

第115回 同窓の女性外交官 伊藤努

第115回 同窓の女性外交官

私事絡みで恐縮だが、大学時代に学んだゼミは、先輩、同期生、後輩を含めて、社会人となってから海外畑で仕事をしている同窓が多い。大学院の修士・博士課程に進み、大学の教員をしているゼミのOB・OGも少なくない。大学などで教えるゼミ同窓の専門も、国際関係論や地域研究など外国を対象にしたものがほとんどだ。そうした中で、外交官の道を選び、外務省に幹部候補生として入省したのが、筆者の1学年下のゼミOG、高橋妙子さんだった。

彼女は大学を卒業した後、都内にある私立大学の大学院に進み、それから米国のコロンビア大学大学院に留学した。難関の外交官試験に通ったのは大学卒業から5年がたっていたが、向学心旺盛な彼女の志高いチャレンジを横で見ていた筆者にとっては、この5年が回り道だったとは思えない。むしろ、経験を積み、世界が広がったのではないか。

外務省では経済畑が振り出しだったが、厳しくも温かい上司の下で骨惜しみせずに働き、最初の海外赴任地はパリにある経済協力開発機構(OECD)日本代表部。その後は本省勤務を挟みながら、ミャンマー、ベルギーのブリュッセル、フィリピン、韓国と、在外勤務でさまざまな仕事をこなし、どの任地国でもその地の文化や伝統を吸収すべく、多くの外国人との交流を深めたようだ。東京では南東アジア1課長や女性としては初の報道課長を歴任し、将来は外務省では女性初の局長職就任の可能性もあったという。

このように経歴を振り返ると、やり手のキャリアウーマンの印象を与えるかもしれない。だが、駆け出しの頃は誰よりも早く出勤して職場の机を雑巾掛けしたり、2次会のカラオケでは持ち歌で周囲をうならせたり、あるいは同郷の上司や政治家との集まりでは栃木弁でしゃべったりと、誠実さと茶目っ気もある得がたいキャラクターの持ち主だったようだ。

ここに紹介したのは、今年1月末に病魔に襲われて他界した高橋妙子さんを偲ぶ会で耳にした外交官としてのありし日の姿である。外務省有志の呼び掛けで偲ぶ会に集まった方々は外務省の錚々たる幹部経験者や現役幹部、同僚、報道関係者が多かった。

偲ぶ会の祭壇。遺影で微笑む高橋さん(写真提供:外務省有志)

「家では仕事の話をあまりしなかったので、妹が上司や同僚の方々とどのような仕事をしていたか、皆さんのお話を聞き、よく分かりました」--。本人は独身だったので、休暇の折によく訪ねてきたというお姉さまがこの集まりでのあいさつで、こう話されていたのが印象に残った。外務省職員として多くの手柄話もあったが、公私をわきまえた彼女はそれを自慢げに姉に話すこともなかったのだろう。

享年56歳。若過ぎる高橋妙子さんの逝去から1カ月余り後に東日本大震災・大津波が起き、2万5000人近い犠牲者が出た。故人をよく知る外務省の元上司はお別れの言葉で、彼女がかつて勤務したミャンマーの伝承を引用しながら、「精霊となって天界から日本の行く末を見守ってください」と遺影に語り掛けていた。合掌。

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