イスラム過激派と国軍の戦闘が激しさを増す中、ドゥテルテ大統領は5月末南部ミンダナオ島周辺に「戒厳令」を布告したうえでイスラム教徒による自治を拡大する施策を発表した。フィリピンのスールー諸島はインドネシアとマレーシアが領有権を持つボルネオ島とミンダナオ島を結んでいる。フィリピンのイスラム教はスールー諸島からミンダナオに島に伝わったが、このルートでイスラムゲリラは武器や戦闘員を調達している。これに対し、フィリピンは近隣のインドネシアやマレーシアと共に合同海上パトロールを開始した。強硬なイスラム反政府勢力の鎮圧は何度も重ねられてきたが、スペイン植民地時代の17世紀中旬以来400年間成功していない。一方、デゥテルテ大統領の戒厳令を受けてマルコス独裁政権時代に戻ったと指摘する見方もある。
マルコス元大統領も当初は斬新な政策を強引に推し進め高い支持率を得たが、経済の低迷や自らの汚職も絡んで民衆の反発を受け、国を追われた。ドゥテルテ大統領も強引な政策で治安を回復し、中国や日本からの経済援助や海外企業の誘致を目指している。
最大の壁は南部で活発な動きを見せる「アブサヤフ」や「マウテグループ」などイスラム過激派対策と敗色濃いIS「イスラミックステート」がミンダナオ島を拠点とするのではないかとの懸念だ。ミンダナオの治安が回復しなければ外国企業の誘致も思うようには進まない。遅々として進まないイスラム過激派対策にいら立ったドゥテルテ大統領はアメリカがイスラム過激派の鎮圧に本気で取り組まないのはフィリピンにおける米軍駐留の根拠を失いたくないからで米軍は撤退すべきだと八つ当たりしたことも記憶に新しい。
90年代の半ばラモス政権時代に穏健派のIMLFモロ民族解放戦線と停戦、和平が実現した。この時を狙ってミンダナオとさらに奥のスールー諸島の最南端まで取材したのはほぼ20年前のことだ。400年間もゲリラの鎮圧が実現しなかった背景と一部のゲリラ勢力とはいえ和平が実現した理由を探った。停戦中にもかかわらずホロ島のイスラムゲリラの支配地区近くでは8人の武装兵士と装甲車に守られての取材だった。(写真)
兵士の小銃には小型のロケットランチャーが取り付けられていた。ものものしい護衛とは裏腹にイスラムゲリラと対峙する最前線も含め取材中に危険を感じたことはなく住民や兵士も穏やかな表情を浮かべていた。
写真:ホロ島のイスラムゲリラの支配地区近くでは武装兵士と装甲車に守られての取材
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