世界三大珍味といえば、キャビア、フォアグラそれにトリュフ。いずれも高価で筆者には縁遠い。ただキャビアだけは少しだけ縁があった。30年前、カンボジアの首都プノンペンで思う存分キャビアを堪能した。無論、カンボジアではチョウザメの卵であるキャビアは生産されていない。プノンペンでキャビアが安く手に入った背景には当時の国際情勢が影響している。
ベトナムの支援を受け、ポルポト政権を倒し西部のタイ国境に追い詰めたヘンサムリン政権。国際世論はベトナムのカンボジアへの侵攻を非難し、国連はベトナムとカンボジアに経済制裁を課していた。経済的に苦しいカンボジアは友好国だった旧ソビエトからの観光客誘致を積極的に進めていた。ポルポト派兵士に破壊され、電話すらなかったポチェントン空港に等身大の板張り肖像パネルが展示してあった。パネルは1961年人類初の宇宙飛行を行い「地球は青かった」というセリフを残した旧ソビエトの故ガガーリン大佐だ。旧ソビエトが最も輝いていた時代の英雄をプノンペンの玄関に飾り旧ソビエト観光客を歓迎した。
内戦中で貧しいカンボジアにとっては精一杯のおもてなしだった。80年代中ごろのプノンペンは閑散としていて人口もまだ少なく、銀行すらなかった。(写真)通用する通貨はカンボジアのリエルかアメリカドルだけだった。旧ソビエトからの旅行者にとって冷戦の敵であるアメリカドルを入手することは難しかった。そこで国際的に価値が認められているキャビアを持ち込み、カンボジア通貨リエルと交換するというわけなのだ。
シベリア産など品質の高いキャビアが収穫できるロシアは今でもキャビアの輸出国として有名だ。闇の両替所は旧ソビエト観光客が持ち込むキャビアの缶詰とカンボジア通貨リエルを交換していた。キャビア本位制である。両替商はそれを西側から来た国連ボランティアや報道関係者にドルで売って利益を上げていた。
筆者も強い日差しが傾いた夕方、メコン川のほとりで国際価格に比べれば格安で手に入るキャビアを買いシンガポールから密輸されるビールを飲んだ。厳しい取材環境だっただけに一瞬の安らぎをよく憶えている。
文明を否定したポルポト政権の後遺症で電話も銀行もない原始のようなカンボジア社会と宇宙飛行士、内戦で食事もままならない市民と高級キャビア。強烈なコントラストだった。中国進出で目覚ましい経済発展を続ける今のカンボジアからは到底想像できない。
《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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