第360回 「ホーチミンルート」取材の思い出(下)  直井謙二

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第360回 「ホーチミンルート」取材の思い出(下)

1991年、北ベトナム政府の統一に向けた決意、ベトナム兵や農民の苦悩に加え大国アメリカがベトナムに敗れた原因を探る番組の企画を立てた。スタッフの中にはベトナム戦争中に活躍した優秀な日本人記者をレポーターにしながら戦争を振り返るという意見があったが、日本人の目を通したノスタルジックな作品になるという心配があった。あくまでもベトナム側から振り返るという視点を維持したこともあり取材は地を這うような困難を極めた。

最前線となった17度線付近の深さ25メールに及ぶ地下トンネル、原野と化したケサン元米軍基地跡、奇形児の出生率が高い枯葉剤散布地域など2か月以上に渡る取材が続いた。南への軍事物資の輸送のためチョンソン山脈の奥深くに作られたホーチミンルートの取材は手間取り、夜になると寒さのためたき火で暖を取った。

一方で制作の意図を理解してくれたベトナム政府や共産党は協力的でボーゲンザップ将軍をはじめ多くの指導者が快くインタビューに応じてくれた。チャンバンチャン将軍はアメリカに厭戦気分をまん延させ政治的には成功したと言われるテト攻勢について戦略的には解放軍側が自信を失うほどの敗北だったと振り返った。南部ベトナムで輝かしい活躍をしたグエンティディン女史、男勝りの女性という先入観とは対照的にどこにでもいそうなベトナムのおばちゃんだった。

ハリウッド映画では、ただただ逃げ惑う弱者として描かれていた農民や庶民が知恵を絞り果敢に戦っていたことも描くことができた。戦争中は兵士の教育用の使われていたというハノイの軍事映画倉庫には膨大な記録映画が保存されていた。薄暗い編集室にこもりダニに悩まされながら戦争記録映画をチェックした。(写真)多くの新聞が取り上げてくれたこともあって視聴率も悪くなかった。

番組で取り上げた枯葉剤による後遺症とみられる水頭症の幼児は視聴者の声や後追いしてくれた新聞の記事もあって日本で治療を受け、完治した。その後海外に番組を売るために英語版も制作されたが、意外なことにアメリカの放送局向けの売れ行きが良かった。

今回久しぶりに訪れたベトナムでは戦争の面影は薄れていた。戦争博物館では米越首脳の会談を写した写真も展示するな「抗米」色を薄める配慮もうかがえた。クチのホーチミンルートの地下トンネルは観光化されガイドは軍が担当していたが、説明にあたった軍人は戦後派だった。

写真1:ハノイの軍事映画倉庫には膨大な記録映画が保存されていた。

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