ベトナム戦争終結から40年、戦争の風化が進む中でもう一つ消えない傷がある。同じ民族同士が戦ったことによる心の傷だ。
北部ベトナムは農村部が多く、越族の風習を色濃く残す地域に対し、南部ベトナムは商業が盛んで華僑など外部からの移民も多くコスモポリタンの雰囲気が漂う。しかし同じキン族の血を引く人が多い点では共通している。
ベトナムはジュネーブ協定によって北緯17度線を挟んで南北に分断されていた。17度線付近にはベンハイ川が流れ、事実上の軍事境界線になっていた。ベトナムの基幹道路であり、南北を縦断する国道1号線にはベンハイ川を渡るためヒエンルオン橋が架けられていた。(写真)橋はベトナム戦争中10年以上に渡って誰も渡ることのできない橋だった。最前線のベンハイ川付近では激戦が繰り広げられ、今も不発弾などが続々と掘り出されている。(当コラム第218回、資源として期待されるベトナムの不発弾)
戦争終結から17年たった1992年、ベンハイ川の川岸に南ベトナムの兵士として戦ったチャンチャン・ティエンさんと北ベトナムの兵士として戦ったグエン・バンカンさんを招き二人にベトナム戦争を語ってもらった。二人は初体面であったが、お互いの部隊の存在は知っていて戦争当時はわずか十数キロで対峙していたことが分かった。兵士としては気の弱そうなティエンさんは強制的に南ベトナム軍に召集され、戦わなければ北ベトナム兵に殺害されると脅されたという。強制されたとはいえ、祖国を裏切ったという後ろめたさは今も消えないとも語った。ティエンさんは戦闘中に狙撃され負傷した足をバンカンさんに見せた。
一方、職業軍人で強気のバンカンさんは米軍やベトナム軍と激しい戦闘を繰り返し、多数の敵を殺害したと戦果を強調した。しかし、戦死した南ベトナム軍の兵士を見た時、同じベトナム人を殺害したという自責の念に駆られ辛い思いをしたと振り返った。激しい地上戦を戦った二人はもはや戦闘の意義など消え去り、苦しい思いだけが残されたようだった。
ハリウッド映画などは大義のない戦争に駆り出され戦闘に巻き込まれた米兵の肉体的な後遺症やPDSDなどの問題にスポットを当てている。無論、南北ベトナム兵士にも同様の障害がある。さらに同胞を殺害したという精神的な打撃から、戦争終結から40年過ぎた今でも立ち直れない兵士がいる。
写真1:ベンハイ川に架かるヒエンルオン橋
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