第320回 ベトナム戦争終結40年、今も残る苦悩(1) 直井謙二

第320回 ベトナム戦争終結40年、今も残る苦悩(1)
アジアの小国ベトナムが大国アメリカと戦い、多数の戦死者をだしながら10年以上にわたる戦いに勝利した。2015年4月30日、ベトナム戦争が終結して40周年を迎えた。ベトナム戦争の取材に乗り遅れた世代の筆者にとって、終結10周年式典特番がベトナム戦争についての最初の仕事だった。
東京で番組をまとめる係だったが、冷戦時代は衛星機構も分かれていて共産国ベトナムからの生中継は複雑さを極めた。そのような状況を何とか乗り切ったときの安堵感と疲労感をまだ憶えている。
それから30年、式典を生中継する局もなく忘れ去られたように40周年が過ぎた。年月の流ればかりでなく南シナ海の領有権を巡って対立する中国を意識した米越合同軍事演習が行われるなど国際情勢の変化も影響している。
一方で40年たっても残る戦争の惨禍を伝える粘り強い報道が続いている。ベトナムの結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」などを通して今も続く枯葉剤の苦しみを伝える報道写真家の中村梧郎さん。先輩の中村さんとは「ベトちゃんドクちゃん」の分離手術取材などで何度も現場でお会いした。戦争終結から40年たっても枯葉剤の惨禍を伝え続ける中村さんの意欲に敬服するばかりだ。枯葉剤にダイオキシンが含まれ、ベトナム人だけでなく派兵された米兵や韓国兵も後遺症に悩んでいると訴えている。

危険な枯葉剤をアメリカ軍がベトナムのジャングルに散布した理由の一つはアメリカ軍が惨敗したケサンの攻防にありそうだ。北緯17度線で分断されていた南北ベトナム。ケサン基地は山岳部の盆地に築かれたアメリカの最前線基地だった。終戦から17年目にケサン基地跡を取材したが、朽ち果てた滑走路を除いてはのどかな田園風景に変わっていた。(写真)
戦略物資をひそかに運ぶのに適していたジャングルに北ベトナムは軍事道路であるホーチミンルートを張り巡らしていた。アメリカ軍は国道9号線や空輸で大量の装備と兵員をケサン基地に配置し自信を深めていた。1968年1月、北ベトナムの数十台の戦車がケサン基地めがけて突然砲撃、ケサンの攻防が始まった。
アメリカ軍はB52戦略爆撃機などで2万回を超える爆撃を行ったが、9号線は解放軍に封鎖され支援を絶たれ劣勢を強いられた。ケサンの攻防で、アメリカ軍はホーチミンルートの破壊しなければ戦況を回復できないと痛感するのだ。
枯葉剤が散布された地域を調べるとホーチミンルートと一致する。枯葉剤の後遺症に悩む人が多い地域でもある。
写真1:ケサン米基地の滑走路跡
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