令和7(2025)年2月末をもって、「ビートル」の船名で親しまれていた福岡県の博多港と韓国の釜山港とを結ぶJR九州の国際定期航路が廃止された(廃止時の就航船は「クイーンビートル」)。前年8月を最後に運休したままの事業撤退で、それも船体の異常を隠したまま運航を続けていたのが国土交通省の抜き打ち検査によって発覚するという不祥事を受けての残念な結末となった。韓国へは日本各地の空港から航空便が飛んでいる中で、博多からビートルに乗れば3時間台で釜山港まで簡単に到達できる便利な航路だっただけに、航路の消滅を惜しむ声は小さくなかった(画像は3代目の「ビートル3世」)。
JR九州が博多~釜山間で国際高速艇の運航を始めたのは平成3(1991)年。だが、博多から釜山へ向かう鉄道会社経営航路の歴史は、昭和18(1943)年に旧鉄道省直営の国営鉄道航路として開設された博釜連絡船がその始まりである。当時は第2次世界大戦の真っただ中で、明治以来の伝統航路である関釜連絡船(下関~釜山)の輸送需要を補完することが博釜航路の目的だった。鉄道連絡船であるから、青函連絡船や宇高連絡船と同じように、鉄道乗車券と直通利用できる乗車券で利用できた。
博多港で出港を待つ「ビートル3世」(2001年、博多港)。2022年まで運航されていた。
ただ、補完航路だったせいか、投入された船舶は関釜連絡船で使い古した旧型船が2隻で、設備面での見劣りは否めなかったという。結局、2年後の敗戦で朝鮮半島が日本の統治下から切り離されることになると、博釜連絡船の運航も途絶えた。戦時中に誕生した格下航路ということもあって、乗船体験者の証言が乏しい地味な鉄道航路だったといえる。
ところが、終戦後の混乱のせいか、この博釜連絡船を正式に廃止する手続きは執られず、書類上は一時休止のまま放置されて戦後の国鉄に引き継がれた。伝統ある関釜航路が昭和45(1970)年に民間のフェリー会社によって復活した後も、博多発着の韓国航路は忘れ去られたままであった。博釜航路の正式な廃止手続きは、昭和62(1987)年に国鉄が分割・民営化されてJRに移管される前に、国鉄九州総局が保有する権利をすべて整理する作業の過程で執られている。
この保有権の整理手続きに携わっていた九州の国鉄職員の1人が、偶然目にした博釜連絡船の廃止届の書類からヒントを得て企画・立案したのが、日韓航路を挟んでJRと韓国の鉄道を直通利用できる「日韓共同きっぷ」だった(1988年発売開始、2015年販売終了)。博多から釜山までJR九州が高速艇ビートルを運航するプランは、この日韓共同きっぷの延長上にあった。
開業後わずか数年で博多~釜山間の旅客シェアの多くを空路から奪ったビートルは、「飛行機よりも早い船」の存在感を日韓双方に定着させた立役者であった。鉄道事業体による航路運航の終了は、80年前に始まった博釜航路の歴史にとって一つの大きな区切りとなるが、近い将来、新たな博釜航路の歴史が再開することを願ってやまない。
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