昨年10月カンボジア国籍を取得し、カンボジア代表選手としてマラソンに参加する意思を示していたお笑いタレントの猫ひろしさんに対し、5月8日国際陸上連盟はロンドンオリンピック出場の参加資格を満たしていないと発表した。
今年に入りアンコール遺跡近くで練習に励む猫さんの姿がテレビ報道されるたびに1996年の年末に行われた第1回アンコールワット国際マラソンを思い出していた。
アンコールワット前で開かれた開会式にラナリット殿下を迎え、日本からはバルセロナオリンピック銀メダリストの有森裕子選手も参加した。
アンコールワット国際マラソンは、長い紛争の日々を過ごし、スポーツに縁がなかったカンボジア市民にマラソンの楽しみを伝え、合わせて紛争で埋められた地雷の撤去費用の義援金を募るというものだ。
アンコール遺跡の中を走る事ができるコースで、距離は10キロと4キロに分かれていた。その日体調が万全でなかった有森選手は4キロコースに参加した。
通常、国際大会と名がつくマラソン大会には何十台ものカメラが持ち込まれ、カメラマン達は、選手ひとりひとりの激走の様子を伝えるが、第1回アンコールワット国際マラソンの開催時はバンコク支局から出張した筆者とカメラマンの2人だけで取材しなければならなかった。
取材用に軽トラックを借り、荷台の上に三脚を固定しカメラを乗せただけの急ごしらえの取材車を作った。日本の道路交通法では到底走る事が許されない粗末なものだ。そして、大勢のカンボジア市民に混り4キロコースのスタートラインに立った有森選手。体調がすぐれない中、号砲とともに笑顔を浮かべゆっくりと走り出し、順調に取材できると安心したとたん有森選手が本気で走り出した。現地の運転手にスピードをあげろと指示したいのだが、運転手はクメール語しか分からない。通訳を通しての指示はどうしても遅れてしまう。
一方、有森選手のダッシュは予想をはるかに上回り、軽トラックの出足では到底追いつけないほどの速さだ。さらに有森選手はコースを逆戻りし、息を切らして落伍しそうな市民ランナーを勇気づけ始めた。(写真)
軽トラックをあきらめ、見物に来ていた人のバイクを借り、後ろ座席にカメラマンが乗り取材を再開した。
有森選手らの努力で現在もアンコールワット国際マラソンは途絶えることなく続き、カンボジアにマラソンが根付いた。メダリストになった後、カンボジアにマラソンを育てようと走った有森選手。お笑いタレントとしてマラソンを自己アピールの場に利用したと批判された猫さん。
同じカンボジアのマラソンでも大きな差があったようだ。
写真1:市民ランナーを励ましながら走る有森選手
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