第166回 イラク戦争とタイ南部のイスラムゲリラ 直井謙二

第166回 イラク戦争とタイ南部のイスラムゲリラ
80年代後半と90年代の後半の2度に分けて9年間バンコクに駐在したが、1度もタイの南部のイスラム過激派によるテロ活動を取材した事がなかった。
南部の治安が良好な事を広報することを目的としたタイ軍のプレス招待取材には、私のかわりにタイ人の助手が参加した。
2012年4月1日、ハジャイなどでマレー系武装組織による同時多発爆弾テロが起き、11人が死亡、117人が負傷するなど2004年からの死者は5,000人を越え、この8年ほどで治安が急激に悪化した。
タイ南部にはイスラム教徒が多く住み、古くはアユタヤ時代にリゴール、今のナコンシータマラートに流された日本人町の頭領、山田長政もイスラム国家ヤラー王国と戦闘を交えたと伝えられている。
ヤラー王国はアユタヤ王朝とマラッカ王国との貿易で栄えたが、現在のチャクリ王朝になってタイの配下に組み込まれ、バンコク王宮の建設などに従事するため多くのイスラム教徒が南部からバンコクに流れた歴史もある。そのような経緯から現在もヤラー王国の再建を願うタイ国籍のイスラム教徒は少なくない。
ベトナム戦争などに巻き込まれ、東南アジア各国が不安定だった70年代には活発なイスラムゲリラの活動が見られたが、戦争や紛争が解決し高度経済成長時代になると活動は次第に鎮静化し、イスラム教徒によるゲリラ活動は終息したと見られていた。

フィリピンでも90年代、ラモス政権が誕生すると南部のミンダナオ島やスルー諸島などを拠点とするイスラムゲリラと和平協議が進んだ。東南アジアのイスラム教徒は穏健派が多いことも和平協議の後押しとなった。
中東や南西アジアのイスラム教徒は厳格に規律を守り、取材の折に筆者も飲酒が出来ずに苦労したが、インドネシアなどではイスラム教徒でも飲酒は個人の判断に任されている。
タイ南部でイスラムゲリラ活動が活発化したのは2003年3月に始まったイラク戦争直後だ。アメリカに反発し、穏健だった東南アジアのイスラムゲリラは国際的組織化を進め、各地でテロを頻発させた。
最近ではアフガニスタンで米兵によるコーラン焼却事件やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の疑いがある兵士による乱射事件も起きイスラムゲリラの国際的な反撃が心配されている。
オバマ政権は乱射した米兵を厳しく処罰するとしているが、死の恐怖に耐えながら長期に渡り外国に駐屯する米兵と政府との間にはかい離があるようだ。アメリカとイスラム諸国の戦闘が続く限り、タイ南部のイスラムゲリラのテロは沈静化しないだろう。
写真1:タイ南部イスラム教徒が多く住むところ
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