第112回 メコンデルタに生きるクメール人 直井謙二

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第112回 メコンデルタに生きるクメール人

1990年代の初め、プレ・アンコール遺跡として有名なオケオの取材を試みた。オケオは1世紀から7世紀にかけて栄えた扶南の貿易港で、海のシルクロードの要衝だった。ローマン・コインや中国から渡った仏像なども出土している。

時とともにメコンデルタが海側に張り出し、遺跡は現在、田んぼの中にある。遺跡の取材で政治的要素はないにもかかわらず、なかなか取材許可が下りない。

アンコール王朝が隆盛を極めた時代、メコンデルタはクメールの領土だった。アンコール王朝が徐々に衰退し、18世紀になって南下政策を取る阮王朝によってベトナム領になった。

プレ・アンコール遺跡の取材を名目に、カンボジアとベトナムの間に横たわる領土問題を扱うのではないかと疑われたようだ。出発寸前にようやく手にしたビザでホーチミン市(旧サイゴン)に入り、車でオケオを目指す。何度もフェリーに乗り、デルタを網の目のように流れるメコン川を越えなければならない。

メコンデルタに入ると、ベトナム様式の寺院と混在してクメール様式の寺院が建っている。その1つに立ち寄ってみた。

 クメール語で「こんにちは」と挨拶をすると、戸惑いながらも「こんにちは」と返してきた。寺の境内には学校があって、僧侶が子供たちにクメール語と仏教の授業を行っている。教室の壁にはカンボジアで見慣れた仏教に関する絵画が張られ、サンスクリット系のクメール文字で説明がついていた。授業が始まると、僧侶の声に合わせて、元気な子供たちの朗読が始まった。大きな声が教室の外にまで響いてくる。(写真)

ここに住むクメール人は先祖代々の土地を離れ、カンボジアに帰る意思はないようだ。かといって、ベトナムの文化に溶け込み、ベトナム人として生きようとも思っていない。

1979年、コメどころのメコンデルタをめぐってカンボジア内戦が勃発した。アンコール王朝が滅亡するまでメコンデルタはカンボジアの領土だったはずだ。

超民族主義のポル・ポト政権がかつての「クメールの地」を奪還しようとベトナム国境付近を攻撃し、ベトナムは国際世論を無視してカンボジに侵攻、カンボジアは長い内戦に突入した。92年の国連主導の総選挙で内戦が終了し、カンボジアは安定を取り戻し、高度経済成長を謳歌している。

現在のフン・セン政権は親ベトナム政策を取っているが、国力を増したカンボジアが歴史を盾に国境問題を持ち出さないか。ベトナムはメコンデルタの領土問題に神経質だ。


写真1:クメールの学校

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