後継者を選ぶリスク、選ばないリスク ――現代中国政治における後継者指定と権力移行 加茂具樹
後継者を選ぶリスク、選ばないリスク――現代中国政治における後継者指定と権力移行
一. 人事予測から権力移行の分析へ
現代中国政治の権力継承をめぐる議論は、しばしば「次の最高指導者は誰か」という人事予測として語られてきた。しかし、現代中国政治を理解するうえで問うべきなのは、特定の候補者の名前だけではない。より重要なことは、最高指導者の交代時期、候補者の選抜、そして党、国家、軍の権限移行を律する公式手続きと党内慣行である。
現在の中国の政治体制において、最高指導者の地位は、中国共産党中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席、国家主席、国家中央軍事委員会主席など、異なる手続きによって選出される複数の職位と、党内における実質的な政治的権威との組み合わせによって形作られている。したがって、その権力継承には、各職位に付随する、法令または党内規定に基づく権限を次期指導部へ移す過程と、次期指導者が実質的な政治的権威を確立する過程とが含まれることになる。現代中国における権力移行をめぐる問題とは、両者をどのように連動させるかにある。
以上の理解を踏まえ本稿は、権力移行を考えるうえで重要な二つの論点を整理する。第一に、後継者の事前指定は、権力移行の予測可能性を高める一方、現職指導者との権威の競合を生じさせる可能性がある。第二に、事前指定が行われない場合、現職指導者の統率は維持しやすいが、実際の権力移行は党内の合意形成により強く依存する。
二.「選ぶ」と「選ばない」の利点と代償
後継者を「選ぶ」とは何か。本稿は、それを党内の正式な選出に先立って、特定の人物を次期指導者として位置づけ、人事配置などを通じてそれを党内外に示すことと定義する。「選ばない」とは、党内で候補者の検討や人材育成を行わないことではなく、そのような事前指定を公に示さないことと定義する。この区別を設けることの意義は、後継者が公表されていないことと、権力移行を処理する制度や手続きが存在しないこととを混同しないようにするためである。
後継者の事前選定には、複数の政治的効果がある。第一に、特定の候補者に主要職を段階的に経験させる人事配置を、後継者育成の一環として明確にし、その人物を次期指導者として党内で認知させやすくする。第二に、将来の指導者として認知された人物の周囲には、次の体制を見越した支持や期待が集まり、現職指導者とは別の政治的重心が形成される可能性がある。第三に、選定された後継者が他の潜在的挑戦者の台頭を抑え、現職指導者を保護する「障壁」として機能する場合もある。したがって、後継者の選定は、現職指導者への脅威となる一方、後継者以外の有力者による挑戦を抑制する効果もある[1]。
反対に、事前選定を行わなければ、現職指導部の指揮系統を維持し、候補者の範囲を柔軟に調整しやすくなる。もっとも、事前選定が公にされなくても、党内で候補者の育成や合意形成を進めることは可能である。問題となるのは、候補者の範囲と準備状況について、党内にどの程度共通の認識が形成されているかである。共通の見通しが十分でない場合には、実際の権力移行時に追加的な調整が必要となる可能性がある[2]。
権威主義体制における権力継承は、現職指導者と党内有力者(政治エリート)との権力配分に関わる問題である。現職指導者は、党内有力者の協力を必要とする一方、彼らが独自の政治的権威を形成することを警戒する。党内有力者の側も、現職への協力を通じて地位を得るが、将来にわたる地位と処遇が確実に保障されているとは限らない。最高指導者の交代は、この関係に内在する不確実性が最も明確に表れる局面である[3]。
この関係は、現職指導者と後継候補との間の相互のコミットメント問題として整理できる。現職指導者は、後継候補に権限を与えた後も、その人物を将来にわたって後継者の地位にとどめると確約しにくい。候補者が独自の権威を形成すれば、現職指導者にはその権限を抑制する誘因が生じるからである。他方、後継候補も、権力移行後に退任した前任者とその周辺の政治的安全を保障し、前任期の人事や主要政策をどの範囲まで維持するかを、事前に確約することは難しい。新たな政治的、経済環境への対応には政策修正が必要となり、その修正が前任者の路線を相対化する場合があるためである。
現職指導者は、円滑な移行に備えて後継者を育成する必要がある一方、政治的資源を蓄積した後継者が自らの地位を脅かすことも警戒しなければならない。後継候補の側にも、政治的資源を蓄積しつつ、現職の警戒を招かないよう自らの政治的野心を抑制する誘因が働く。したがって、現職指導者にとって脅威になりにくい候補者と、権力移行後に安定した統治を担いうる候補者とは、必ずしも一致しない[4]。
事前指定と党内手続きによる正式な選出は別の過程である。後継者を公表しても、現職が指定を撤回できるなら候補者の地位は安定しない。継承制度を評価する際には、公的指定の有無だけでなく、退任時期、候補者を絞り込む主体、正式な決定機関、権限移行の手順について、党内にどの程度共通の了解が形成されているかを検討する必要がある[5]。
三.毛沢東期:「接班人」指定と権威の競合
「接班人」とは、最高指導者の地位と政治路線を引き継ぐと位置づけられた人物を指す政治用語であり、公式の職名や自動的な継承順位を意味するものではない。毛沢東期の「接班人」問題は、後継者の事前指定がもたらす効果を検討するうえで重要な事例である。
毛沢東の後継者として最初に認知された党内有力者は、劉少奇である。劉少奇は、延安期以来、毛沢東不在時の中央工作を代行し、建国後も、毛沢東の外遊中などに中央の実務を担った。1959年4月、劉少奇の国家主席選出に先立ち、毛沢東は、劉少奇が延安期以来、長年にわたって中央の日常工作を担当してきたと説明した。1960年代前半には、対外的にも劉少奇を自らの後継者として明示していた。後継者に必要な行政経験の蓄積と、党内的権威の形成という点で、この配置には一定の合理性があった[6]。
しかし、後継者に統治経験を積ませるための権限付与は、同時に、その人物が独自の政治的権威を形成する条件ともなった。毛沢東が一線の実務を劉少奇らに委ねるにつれ、実務上の分業は、現職指導者と後継者の権威の境界をめぐる問題と結びついた。ここで、劉少奇の後継者としての地位が政策上の相違を直接生み出したとみるべきではない。むしろ、社会主義教育運動などをめぐってすでに生じていた政策上の相違が、劉少奇の後継者としての地位ゆえに、現職指導者と後継者の権威関係をめぐる対立として意味づけられ、深刻化したと考えるべきである。後継者が統治能力を示すためには一定の裁量が必要であるが、その裁量は、現職指導者に対抗しうる潜在的な政治的資源として認識されうる[7]。
劉少奇が失脚した後、新しい後継者となったのが林彪である。林彪の事例は、後継者として公式に位置づけても、「接班人」問題が自動的に解消されるわけではないことを示している。1969年の党規約は、林彪を毛沢東の「親密な戦友、接班人」と明記した。これは、後継順位を党内外に示すという意味では、極めて明確な事前選定であった。理論上は、党内の期待を林彪に集中させ、他の党内有力者が後継をめぐって公然と競争する余地を狭める配置であった。その意味では、林彪の指定は、他の潜在的挑戦者を抑制する「障壁」に近い機能を果たした可能性があったといってよい。
しかし、後継者を一人に固定することは、現職指導者と後継者が並存する期間の権限配分を解決するものではなかった。党規約は将来の継承順位を示したが、林彪が当時どの範囲の権限を行使するのか、毛沢東の権威との境界をどこに設定するのかについては、明確な規則を設けていなかった。
1970年の国家主席設置問題をめぐる対立は、後継者の事前選定だけでは、現職指導者と後継者の権限関係を安定させられないことを示す一つの局面であった。この対立は国家機構の設計をめぐる相違であったが、林彪が公認の後継者であったため、現職指導者と後継者の権威の境界をめぐる問題とも結びついた。したがって、後継者の事前選定が対立そのものを生み出したというより、国家機構の設計をめぐる相違に、現職指導者と後継者の権威関係をめぐる意味を付与し、対立を深刻化させる条件となったと考える方が適切である。林彪の事例は、後継者選定が後継をめぐる不確実性を抑えうる一方、現職と後継者の並存期間に新たな調整問題を生じさせうることを示している[8]。
林彪の後継者としての地位が動揺した時期から1970年代半ばにかけて、李徳生、紀登奎、王洪文、鄧小平、華国鋒らの中央における職務と地位が相次いで拡大した。この時期には、年齢、行政経験、軍との関係、政治的経歴の異なる複数の党内有力者が指導部内に並存し、最高指導部の将来構成はなお定まっていなかった。
王洪文は、若さと文化大革命期の政治的経歴を持っていたが、中央での行政経験は限られていた。鄧小平は、党務、国家行政、軍事、外交の実務に広く通じ、政策運営では独自の判断を示した。華国鋒は、地方行政、中央の経済工作、国務院、公安部門を経験していた。また、王洪文のように「四人組」と一体化しておらず、鄧小平のように、毛沢東晩年の路線との緊張関係が明確であったわけでもなかった。このため、華国鋒は指導部内で積極的な支持を広く集めていたというよりも、主要勢力のいずれからも決定的な反対を受けにくく、移行期の妥協候補となりうる位置にあったと考えられる[9]。
これらの人事を、候補者の政治的信頼性(忠誠)と行政能力だけによって説明するのは十分ではない。後継候補の選定では、党内有力者間の利害調整、軍や治安機構の統御、前任者の主要政策との一定の継続性など、複数の政治的条件が考慮される。さらに、能力と政治的信頼性の緊張は、後継候補に限らず、現職指導者が重用する側近にもみられる。とりわけ個人支配的な権威主義体制では、側近の能力は統治に資する一方、現職に対する脅威にもなりうる。能力の高い側近ほど、現職指導者に対する挑戦の成否を見極め、勝算がある場合に限って離反するからである。そのため、現職指導者にとっては、側近の政治的信頼性と能力を同時に確保することが難しくなる[10]。
華国鋒への継承を評価する際には、主要職位と権限の「移行」と新指導体制の「定着」を区別する必要がある。華国鋒は1976年に党中央第一副主席と国務院総理となり、毛沢東の死後には党中央主席と党中央軍事委員会主席に就いた。毛沢東の死に伴う職位の移行は実施され、直後に中央の統治機構が機能停止する事態は生じなかった。華国鋒、葉剣英らによる「四人組」の排除も、移行初期の政治秩序を形成するうえで重要な役割を果たした。この意味で、毛沢東死後の初期的な権力移行は、おおむね秩序立って進められたと評価できる。
しかし、その後に鄧小平の復帰と政策転換が進むなか、華国鋒は1980年に国務院総理を、1981年には党中央主席と党中央軍事委員会主席を退いた。こうした華国鋒の事例は、職位を引き継ぐことと、独自の政策方針を示し、新たな指導体制を定着させることが別の課題であることを示している[11]。
また継承には、前任者の政策をどこまで維持するかという問題も伴う。現職指導者にとっては、自らの主要政策を維持すると考えられる候補者ほど信頼しやすい。しかし、後継者には、国内外の環境変化に対応するための裁量も必要となる。継続を重視しすぎれば政策調整が遅れ、修正を急げば前任期の政策を支えた幹部集団との摩擦が生じうる。つまり後継者の選定は人物の問題だけではなく、政策継続と政策修正の範囲をめぐる合意形成でもある。
四.改革開放期:継承を管理する規則と慣行
毛沢東期の権力継承をめぐる経験を背景として、改革開放期には、最高指導部の交代を党内の規則と慣行によって管理する試みが進められた。幹部退職制度、党大会を単位とする人事交代、任期と年齢をめぐる慣行、集団指導、次世代を担う幹部の段階的登用などである[12]。先行研究は、1990年代以降に形成された継承の規則と慣行を、現職指導者の退任、後継者の選抜、前任者から後任者への権力移行という三つの側面に整理している。
ここでいう制度化とは、最高指導者の交代を成文規則によって自動化したことを意味しない。任期、年齢、昇進経路、党大会を単位とする人事交代に関する規則と慣行を反復して運用し、交代時期と候補者の範囲に関する予測可能性を高めたことを指す。これらは一つの法規範にまとめられたものではなく、党規約、憲法と法律、組織人事上の規定、非公式な党内慣行の組み合わせであった。
とくに1990年代以降、次期指導者と目された人物に、中央委員会政治局常務委員、中央書記処書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席などの職務を段階的に経験させる人事配置がみられた。このなかで、党中央軍事委員会副主席への登用は、党と国家の他の職務とは異なる意味を持つ。最高指導者が党と国家、軍の主要職を兼ねる体制では、同職への登用は、後継候補に党と国家、軍を横断する指導経験を与え、軍上層部との組織的関係を築かせる一方、登用された後継候補自身が党内で政治的権威を形成する基盤ともなりうる。したがって、党中央軍事委員会における後継候補の位置づけには、後継者育成と権威の競合の間に緊張が生じうる。交代時期について党内に一定の了解があれば、現職と後継候補が一定期間並存しても、その競合を限定しやすくなる。こうした段階的登用と、交代時期に関する党内の共通了解は、Nathanが規則に沿った指導者交代として論じた制度化の一部を構成する。
もっとも、こうした人事運用をどの程度制度化されたものと評価できるかについては、先行研究の見解が分かれている。Fewsmithは、改革開放期のエリート政治においても公式制度は必ずしも強固ではなく、権力均衡と党内規範が大きな役割を果たしていたと指摘する。別の先行研究はさらに、同じ人事運用が繰り返されたという事実だけでは、非公式ルールの成立を確認できないと論じる。それが単なる慣行なのか、党内で遵守すべきものと認識された非公式ルールなのかを、個別に検討する必要があると論じていた[13]。
五.現在:公に示された後継者の不在と党内調整
現在の制度と人事配置を考える際には、公式手続きの存続と、人事慣行の運用上の変化を分けて検討する必要がある。2018年の憲法改正では、国家主席と同副主席について「連続任職は二期を超えてはならない」とする規定が削除された。公式の説明では、党総書記、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席には同様の二期制限がないことを踏まえ、国家主席の連続在任についても二期の上限を設けないことが、党中央の権威と集中統一指導の維持、および国家指導体制の強化と整備に資するとされた[14]。
2022年の第20期一中全会では、習近平が党総書記と党中央軍事委員会主席に選出され、同時に政治局常務委員七人が選出された。2023年には、全国人民代表大会で国家主席と国家中央軍事委員会主席に選出された。そして第20期一中全会の公式発表では、特定の人物が次期最高指導者として明示されたわけではない[15]。
この人事配置には、いくつかの制度運用上の利点が考えられる。第一に、現職指導者の求心力が早期に低下することを抑え、政策決定の一体性を維持しやすい。第二に、特定の後継候補の周囲に、将来の人事を見越した政治的結集が生じることを抑制できる。第三に、国内外の情勢や候補者の実績に応じて、候補者の範囲を柔軟に調整できる。これらは現在の人事配置から推定しうる制度上の効果であり、指導部の具体的な意図を断定するものではない。
加えて、最高指導者の交代時期も、従来の任期慣行だけから一義的に判断することは難しい。ただし、後継候補や選定手続きが外部から観察できないことと、それらが党内で共有されていないこととは、分析上区別する必要がある。公的な指定がなくても、党内では候補者の範囲が共有されている可能性がある。他方、その共有の範囲が狭いほど、幹部間の事前調整は難しくなりうる。
したがって、分析上の焦点は、外部からの観察可能性そのものではなく、交代時期、候補者の範囲、絞り込み手続きについて、中央委員会政治局、中央委員会、軍指導部などの間で、どの程度共通の認識が形成されているかに置くべきである。公表された人事配置は、党内外に将来の人事を見通す材料を与えうる。他方、そうした材料を早期に示せば、将来の人事を見越した政治的な動きが先行し、現職指導部の政策遂行に影響する可能性がある。したがって、後継者を公に示すかどうかは、単に人事情報をどの程度公表するかという問題ではなく、候補者選定の柔軟性と権力移行の予測可能性との間で、どのように均衡を図るかという問題である。
また、予定された指導者交代と、死亡や職務遂行不能などによる不測の欠位は区別しなければならない。予定された交代では、後継者を公に示さなくても、党内調整に時間をかけることができる。これに対し、不測の欠位では、候補者の絞り込み、主要職の配分、指揮系統の確認を短期間に行わなければならない。このように、後継者が公に明示されていないことは、不測の欠位において、予定された交代の場合よりも大きな調整負担をもたらしうる。
党と国家、軍の主要職には、それぞれ異なる選出および補充の手続きがある。憲法第84条は、国家主席が欠位した場合には国家副主席がその職を継ぐと定めている。他方、党規約第23条によれば、中央委員会総書記は中央委員会全体会議が選出し、党中央軍事委員会の構成も中央委員会が決定する。そして憲法第62条は、全国人民代表大会が国家主席および副主席と国家中央軍事委員会主席を選出すると定める。軍の権限移行では、党中央軍事委員会と国家中央軍事委員会の人事手続きに加え、党中央の決定を軍の指揮系統にどう反映させるかが重要となる。
軍の権限移行で焦点となるのは、党が軍を指導する体制を前提として、党中央の人事決定を軍の指揮系統にどのように反映させ、新たな最高指導者の政治的権威を確立するかである。後継候補があらかじめ党中央軍事委員会副主席などを経験していれば、軍に対する指導権の移行に備えやすい。他方、そのような経験を持たない場合には、最高指導部の人事決定と軍の指揮権の移行を、より短い期間に集中的に調整する必要が生じる。
したがって、党、国家、軍の主要職を一人が兼ねる指導体制では、権力移行は一つの継承手続きに従うだけでは完結しない。職位ごとに異なる手続きを、党内の政治的合意の下で連動させる必要がある[16]。
もっとも、現在の中国を毛沢東晩年と単純に同一視することはできない。今日の中国共産党は、中央委員会、中央政治局、中央書記処をはじめ組織部門、規律検査機関、軍内党組織を備え、全国規模で幹部を選抜し、配置する組織能力を持っている。経済管理、外交、社会統治、科学技術、軍事などの政策分野も、毛沢東期よりはるかに専門化されている。
比較政治学上も、組織化された支配政党は、党内の様々な会議体を通じて、指導者交代後の党内有力者間の調整を担いうる制度的資源を備えていると考えられている。したがって、公的な後継者指定がないことから、直ちに移行の混乱を予測するのは適切ではない。ただし、交代時期や候補者について党内の共通認識が十分に形成されていない場合には、候補者の絞り込み、党、国家、軍の主要職の配分、指揮系統の確認、新指導部の人事を、実際の移行局面で調整しなければならない。その分、移行の成否は、党内機関の調整能力と主要幹部間の合意形成に強く左右されることになる[17]。
六.二つのリスクを管理する仕組み
中国共産党の権力継承を分析する際には、三つの分析次元を区別する必要がある。第一は、党、国家、軍の主要職の選出、補充手続きと、それらの相互関係を定める公式制度である。第二は、任期、年齢、昇進経路などについて幹部が共有する党内慣行である。第三は、予定外の事態を含む交代局面で、中央委員会、中央政治局、軍指導部などが合意を形成する組織能力である。
継承の安定性は、国家主席の任期制限や後継者の公表の有無だけでは判断できない。公式制度が存在しても、職位ごとの手続きの連動が明確でなければ、移行には追加的な調整が必要となる。非公式な慣行は、反復して運用される限り予測可能性を高めるが、運用が変化すれば、その解釈も分かれうる。他方、党組織が十分な調整能力を備えていれば、後継者を早期に固定しなくても、交代を管理できる可能性がある。
毛沢東期の「接班人」問題が示すのは、適切な人物を選ぶだけでは、継承問題は解決しないという点である。劉少奇と林彪の事例では、政策や制度をめぐる相違が、後継者に与えられた権限と権威を介して、現職指導者との権威の競合として表面化した。他方、華国鋒の事例は、職位の移行を管理することと、新たな指導体制を定着させることが別の課題であることを示した。改革開放期の党内慣行は、任期、年齢、昇進経路を組み合わせ、後継者育成に伴う競合を抑えつつ、権力移行と新指導体制の定着の両立を図る一定の役割を果たした。
現在の中国政治について問うべきなのは、「次の最高指導者は誰か」だけではない。より重要なのは、若手幹部の登用経路や党、国家、軍の職位配分を手がかりに、後継候補がいつ、どのように示されるのか、党、国家、軍の権限移行と党内の合意形成がどのように準備されているのかを検討することである。
後継者の早期選定は、候補者の育成と移行の予測可能性を高めうる一方、政策や人事をめぐる相違を、現職指導者との権威の競合として顕在化させ、増幅する可能性がある。事前指定が行われない場合、現行の指揮系統は維持しやすい一方、実際の移行は党組織の合意形成能力により強く依存する。その調整負担の大きさは、現職指導者の退任時期、候補者を絞り込む主体、正式な決定機関、権限移行の手順について、党内でどの程度共通の了解が形成されているかによって異なる。継承を支える仕組みの役割は、いずれか一方のリスクを消すことではなく、二つのリスクを組織的に処理できる範囲に収めることにある。後継者がどの時点で、どの程度まで公に示されるかは、将来の権力移行の条件をすでに形づくっているのである。
[1] Konrad, Kai A., and Vai-Lam Mui (2017), “The Prince—or Better No Prince? The Strategic Value of Appointing a Successor.” Journal of Conflict Resolution, Vol. 61, No. 10, pp. 2158–2182.
[2] ここでいう追加的な調整とは、後継候補の絞り込み、主要職位の配分と移行順序、新指導部の人事、軍の指揮権、政策継続の範囲をめぐって、改めて党内合意を形成することを指す。
[3] Svolik, Milan W. (2009), “Power Sharing and Leadership Dynamics in Authoritarian Regimes,” American Journal of Political Science, Vol. 53, No. 2, pp. 477–494.
[4] Zhou, Congyi. (2023), “Last Step to the Throne: The Conflict between Rulers and Their Successors.” Political Science Research and Methods, Vol. 11, No. 1, pp. 80–94.
[5] Wang, Zhengxu and Vangeli, Anastas (2016), “The Rules and Norms of Leadership Succession in China: From Deng Xiaoping to Xi Jinping and Beyond,” The China Journal, Vol. 76, pp. 24–40.
[6] 中共中央文献研究室編『毛沢東年譜(一九四九―一九七六)』第1巻、第2巻、第4巻、第5巻。1949年11月25日、1953年12月24日、1959年4月15日、1960年5月27日、1961年9月24日、1964年3月10日の各項。なお、本節の史実確認および問題設定にあたっては、周一平「毛沢東選接班人的心路歴程(上)」『探索與争鳴』2014年第5期、63-68頁、周一平「毛沢東選接班人的心路歴程(下)」『探索與争鳴』2014年第6期、88-94頁、を参照した。両論文は『毛沢東年譜』各巻を典拠としている。本稿執筆にあたって該当項については筆者も確認した。
[7] 同、第5巻および第6巻。1964年12月から1966年にかけての社会主義教育運動、劉少奇批判および「独立王国」に関する各項。
[8] 「中国共産党章程(中国共産党第九次全国代表大会一九六九年四月十四日通過)」『人民日報』1969年4月29日。国家主席設置問題については、『毛沢東年譜』第5巻および第6巻の、1970年3月から9月にかけての各項。
[9] 林彪の後継者としての地位が動揺した時期以降の幹部登用については、『毛沢東年譜』第6巻の、1971年から1976年にかけての李徳生、紀登奎、王洪文、鄧小平、華国鋒に関する各項。
[10] Egorov, Georgy, and Konstantin Sonin. (2011), “Dictators and Their Viziers: Endogenizing the Loyalty–Competence Trade-off.” Journal of the European Economic Association, Vol. 9, No. 5, pp. 903–930.
[11] 「華国鋒同志生平」『人民日報』2008年9月1日。華国鋒は1980年9月に国務院総理を退き、1981年6月に党中央主席および党中央軍事委員会主席を辞任した。
[12] Nathan, Andrew J. (2003), “China’s Changing of the Guard: Authoritarian Resilience,” Journal of Democracy, Vol. 14, No. 1, pp. 6–17. Wang, Zhengxu, and Anastas Vangeli. (2016), “The Rules and Norms of Leadership Succession in China: From Deng Xiaoping to Xi Jinping and Beyond.” The China Journal, Vol. 76, pp. 24–40.
[13] Fewsmith, Joseph (2021), “Balances, Norms and Institutions: Why Elite Politics in the CCP Have Not Institutionalized,” The China Quarterly, Vol. 248, Supplement S1, pp. 265–282. Smith, Ewan (2021), “On the Informal Rules of the Chinese Communist Party.” The China Quarterly, Vol. 248, Supplement S1, pp. 141–160.
[14] 「中華人民共和国憲法修正案」『人民日報』2018年3月12日。および「第十二届全国人大常委会副委員長兼秘書長王晨『中華人民共和国憲法修正案(草案)』的説明」『中国人大網』2018年3月20日。
[15] 「党的二十届一中全会産生中央領導機構 習近平任中共中央総書記中央軍委主席」、『人民日報』2022年10月24日。「習近平全票当選国家中央軍委主席 趙楽際当選全国人大常務委会委員長」『人民日報』2023年3月11日。
[16] 「中国共産党章程(中国共産党第二十次全国代表大会部分修改, 2022年10月22日通過)」『人民日報』2022年10月27日。第23条。「中華人民共和国憲法」『人民日報』2018年3月22日。第62条、第84条。
[17] Geddes, Barbara, Wright, Joseph and Frantz, Erica (2018), How Dictatorships Work: Power, Personalization, and Collapse, Cambridge: Cambridge University Press. とくに第8章や第9章を参照されたい。
ツイート




