水害、新感染症、少女いじめに加え「反日映画」もあって、中国の夏は一段と厳しい
今年の中国の夏は、人民にとって暑さの不快感が一段と増しているようだ。地球温暖化の影響による天候不順で、今年は北方の首都北京市でも大規模な洪水が発生。広東省では水害とともに、蚊の媒介による「チクングニア熱」という新種の感染症も流行している。経済不況への民衆の不満も鬱積しているようで、四川省江油市ではいじめ事件を発端に暴動のような事態にもなっており、社会不安が高まっている。そんな時、中国当局が取る”常套手段“は人民の目を外に向けること。今年は「対日戦勝80周年」に当たるため、党中央はまたまた反日ムードを高める方策を考え出したようで、抗日戦争を舞台にした映画を制作、上映し、その一方で、日本企業の社員をスパイ罪で有期刑に処した。ただ、こうした外国攻撃は百害あって一利なし。日本を含む外国企業の中国投資離れを加速させるだけだからだ。
<天候不順で水害頻発>
中国では長江以南で毎年のように水害が起きるが、黄河以北ではめったにない。筆者が首都北京市にいた1980年代初めも乾き切った気候で、激しい雨降りなどに遭った試しがなかった。ところが、今年7月末から8月初めにかけて、驚くことに北京市の郊外で大水害が発生した。7月24日から降り始めた雨が27日まで続き、洪水や土砂災害を引き起こしたのだ。密雲区、懐柔区、平谷区では少なくとも9つのダムが満水となったため、放流を開始。密雲ダムでは、27日午後3時時点で毎秒80立方メートル程度の放水だったが、一時間後には400立方メートルまで水量が増したという。この結果、流木や泥流が下流の村を呑み込んだ。
密雲ダムの大量放流による洪水で、下流の太師屯鎮にある老人ホームが水没し、31人の入所者が犠牲となった。事前に放流するという警告がこの地域には達していなかったもようで、死亡者は避難する間もなく、ほとんどベッド上で亡くなっていたという。今回、密雲ダムだけでなく、懐柔区にある懐柔ダムなど3つのダムも同時放水したため、泥流は北京の市街地にも流れ込み、さらには下流の河北省にも及んだ。大雨によって、北京市中央部の観光名所、故宮も水浸しになった。「故宮の堀はほとんど満杯で、近くの道路は人のくるぶしまで冠水していた」と市民は語る。
習近平国家主席の大号令の下、北京市南方の河北省雄安新区では新都市建設が進められているが、もともと土地が低いこともあって同地区は広範囲にわたって浸水被害を受けた。北方で水害が起きないというのはもう昔話で、今では地球温暖化の影響が黄河以北にも及び、著しい気象変化をもたらしている。2023年には、北京市房山区でも豪雨災害があったという。だが、郊外ダムは建設当時、大量の降雨を想定しておらず、押しなべて貯水キャパシティーが少ない。そのため、一定間隔で放流せざるを得ないようで、それが今回、アダとなった。今後は、北方であっても、豪雨を想定したダム、治水対策が必要となろう。
北方で豪雨なら南方でも広東省を中心に雨が降り続く。8月5日、東莞市では街全体が水浸しとなった。場所によっては、水の深さが大人の首辺りまで達したという。ある地区で、救助隊が水没した車両から運転手を救おうとしたが、水圧が強くドアが開かない。運転手は車の天井に向かって鼻だけ出して息をしている状態。一刻も争うため、結局、後部ドアが壊され、救出されたという。救助隊員は「ドライバーはほとんど呼吸ができない状態だった。救助が十数秒遅れていたら、彼は生きていなかっただろう」と話している。深圳市では、大雨でティラピアの養殖池の水があふれ、大量に逃げ出したその魚が道路上で泳ぐ姿も目撃されたという。
黄河以北と広東省が大雨ならば、中国全体がそうなのかと言えば、一様でない。中原の河南省では連日40度を超す高温が続いており、降雨量は逆に例年の3割程度と少なく、日照り状態に陥った。現地農民は「これは1961年以来の出来事」と悲嘆する。1961年というのは、中国で1959年から始まった「3年危機」と言われる大飢饉の時期に当たる。3年危機を持ち出すほどに、省南部の駐馬店、周口、漯河各市の農地では深刻な水不足状態に陥ったのであろう。この結果、今年秋、323万ムー(1ムーは667平方メートル)の農地で種まきができず、落花生などの収穫は大きな影響が出るもようだ。
河南省民と見られるネットユーザーは皮肉交じりに「こちらが干ばつで困っている時に、北京や広東省では洪水で犠牲になるとは」と信じられない様子。その一方で、「川があふれるほどに南方で降雨があるなら、その水を日照りのこちらに運べないか。水量を各地で平準化できないものか」と嘆く声も。河南省は全国一の食糧生産基地であり、総産量は全国の10分の1、小麦に限れば4分の1以上を占める。中国では昔から「南水北調」と言って南方の豊富な水を少雨の中原地域に運ぶことが国家の基本プロジェクトとされ、実際にそういう水路はできている。ただ、大量に降った雨をそのまま北方に届けるだけのキャパシティーはないようだ。
<広東省で新種の感染症?>
広東省では今夏、豪雨のほかに新規の感染症の出現にも悩まされている。蚊が媒体するウイルスによって引き起こされる「チクングニア熱」という感染症だ。7月8日、同省仏山市で最初の感染例が確認され、月末までに同市順徳区を中心に7000人近い患者が出ている。感染は周辺の広州、深圳、東莞、珠海、中山市などにも広がった。さらに、同省北部の潮州市でも患者が出ており、感染はかなり広範囲に及んでいる様子だ。このため、かつてSARS(重症急性呼吸器症候群)や新型コロナウイルスに悩まされた同省や北京の衛生当局は神経を高ぶらせ、防疫態勢に入った。
チクングニア熱の主な症状としては、頭痛、筋肉痛、吐き気、倦怠感、発疹、関節の腫れなど。死亡例はまれだが、持病を持っている人が合併症で死ぬケースがないわけではない。残念ながら、感染予防のためのワクチンは開発されていない。世界保健機関(WHO)によれば、今年6月初め、台湾、シンガポールを含む世界14の国・地域で発症例が見られ、約80人が死亡している。香港でも8月4日、仏山市を訪れていた12歳の少年が感染していたことが分かり、厳戒態勢に入った。台湾の疾病管制署によれば、同地域でも今年16件の「輸入症例」があったという。同署は「インドネシアで感染した人が帰国して発症したケースが多い」と指摘している。
発症は生きた蚊に刺されることに起因するだけで、幸いなことに人から人に感染するケースはない。“元凶”の蚊は海外から持ち込まれたものと見られ、今後は輸入品に付いてくる蚊の幼虫などの流入を防ぐ方針だ。国内的には感染蚊の撲滅が第一であり、広東省の衛生当局は8月第一週に「蚊の集中撲滅キャンペーン」を設定し、仏山市は8月7日に全市挙げて「愛国衛生運動の統一行動」を展開した。北京から国家疾病予防抑制局の瀋洪兵局長がわざわざ仏山市を訪れたが、蚊取り線香をともす、蚊帳を吊る、網戸を閉める、水溜まりをなくす-などの初歩的な予防措置の徹底に向けてハッパを掛けるだけだった。
米国も中国でのチクングニア熱発症に“異常”な関心を持ち、米国疾病管制予防センター(CDC)が8月1日、中国全体を2級の「トラベル・アラート」の対象地区に設定し、中国への旅行者に対し警告を発した。CDCは「チクングニア熱はアフリカ、米州、アジア、欧州、インド太平洋地域の至る所で発生している」と指摘する。だが、「当面、中国広東省で感染例が多く出ている」という理由からか、中国に限ってトラベル・アラートのレベルアップを図った。政治的な背景があるようには思えないが、米中関税、経済戦争がある中で、両国間の行き来は一段と制限されそうだ。
<いじめ事件か反政府暴動か>
経済不況による人民の不満は、夏の暑さに刺激されたように一段と高まった。些末な事件をきっかけに、はけ口を求めた老百姓(庶民)はすぐに街頭に出て、怒りを爆発させる。四川省の江油市(綿陽市大行政区の一部)では、少女へのいじめが発端になり、大勢の市民が市庁舎や警察署に押し掛けた。江油は唐代の大詩人、李白の故郷でもある。その文化の香りとはかけ慣れた陰湿ないじめ事件は7月22日に起きた。「頼」という14歳の生徒が15歳の「劉」という女子生徒ら3人に連れ出され、廃墟となった建築現場で4時間にわたり言葉による侮辱、威嚇を受け、殴打もされた。最後は服を脱がされ、跪かされたという。頼さんはこれで軽傷を負った。
この一連の光景は加害者の少女たちが録画に撮り、それをSNS上にも投稿していたというのだから呆れる。そして、首謀者の劉は「警察に何度言っても、問題にならないからね」と言ったらしい。実際、SNSで動画が出ると、この事件はその界隈では大きな話題になったが、警察は「劉らはそれぞれの家庭でしつけてもらう」と言うのみで、問題にする気配はなかった。それどころか、江油市民に対しては「録画を拡散させるな」と恫喝し、完全に加害者側の立場に立った。この一連の動きから、「どうも加害者側は警察幹部と一定のつながりがある」との見方がされた。中国で地方党・政府、公安局(警察)幹部との関係があれば、犯罪、不正がもみ消されるというのはよくあることだ。
頼さんの父親は外地へ出稼ぎに出ており、家はろうあ者の母親と2人だけ。この母親はさすがに警察署に行って不正を正そうとしたが、相手にされず、市庁舎前で座り込んで無言の抗議をした。ネットの動画や母親の行動を見た市民は同情し、かつ憤った。8月4日午後、数百人の市民が市庁舎前に集まり、「きちんと事件に向き合え」と叫び声を上げた。これに対し、警察部隊が出動、抗議者を根こそぎ拘束し、豚を運搬するような柵のあるトラックに詰め込んで連行した。市民のチェックが利かない強権国家下では、軍とか、警察とか、城管(市中の管理職員)とかが大きな力を持ち、その土地の権力者の指示で恣意的に事件処理に当たっている。
ネットメディア「澎湃新聞」は、加害者少女が頼さんの携帯電話を奪い、売り払ってしまったと報じている。となれば、これは単なるいじめ事件でなく、立派な強盗事件だが、そういう告発に対しても警察は動こうとせず、少女らは刑事責任を免れている。これだけ見ても、警察と加害少女たちの“深い”関係が分かる。デモ市民は、国歌「義勇軍行進曲」を歌って「起来、起来(立ち上がれ)」と絶叫し、あまりにも不公平は扱いに怒りを爆発させた。中には「共産党は退陣せよ」「民主主義をわれらに」との声も聞こえたという。庶民はこの事件を単にいじめだけの問題ととらえるのではなく、強権的な体制にも問題があるとの見方をしているようだ。
<また、反日気運あおるか>
北京の党中央指導部は、景気悪化や失業に直面した人民の怒りが自らに向かないよう、いつもうまくすり替える術(すべ)を持っている。それは外国人に怒りの矛先を向けることだ。だが、奇妙なことに、その対象は現在でも関税アップを押し付け、経済的苦境を強いるトランプ政権の米国でなく、かなり以前に終わった戦争の相手国であったという過去にこだわり、日本を攻撃対象にしたことだ。なるほど今年は抗日戦勝80周年の節目に当たる年で、勝利記念日の9月3日には北京で大軍事パレードも行われる。そのために、日本を槍玉に挙げやすいのかも知れない。
今、中国各地の映画館で「南京照相(写真)館」という「愛国映画」が上映中で、小学生に強制的に視聴させている。この映画のストーリーはこうだ。時代は日本軍が南京を占領した後の1937年。写真館で見習いをしている15歳の少年は、ある日本軍人が持ち込んだ2巻のフィルムを現像しようとしたところ、最後の方に日本軍人が中国人を虐殺したり、婦女を暴行したりする場面も写っていたものを見つけ出した。彼は、危険を冒してそのフィルム数十枚を保持し続け、その中から16枚を戦後の日本軍人戦犯裁判の証拠として提出したという。
ただ、多くの日本人歴史家は「このストーリーはおかしい」「歴史上のロジックとかみ合わない」と指摘する。というのは、確かに中国派遣の日本軍部隊には従軍カメラマンがいた。だが、彼らの主要任務は日本軍兵士が勇敢に戦っているところ、さらには占領各地で市民が日本軍を歓迎している、交流しているといった風景を撮ることにあり、「虐殺や暴行の現場など気分が悪くなるような場面は決して写さないだろう」と見るのだ。しかも、従軍カメラマンは自分たちで現像設備を持っており、街中の写真館にわざわざ頼むことはまずあり得ないというのだ。
中国の愛国映画はこのほか、細菌戦争に備えるという名目で捕虜らを人体実験の対象にしたとされる「731部隊」をテーマにした映画も作られている。関東軍防疫給水部の名を持つ731部隊の施設は黒竜江省ハルビン市郊外の平房地区にある。筆者も2度訪れたことがある。最初に行った1983年ころは建物しかなかったが、次に訪れた2010年代には立派な「歴史博物館(正式名称は七三一部隊罪証陳列館)」に変わっていて、人体実験の場面を再現するように、ライトアップの中で色彩豊かな蝋人形が並べられていた。ここは、いわゆる「愛国教育基地」であり、積極的に子供たちに参観させている。であれば、映画「731」も子供たちに強烈な印象を残し、反日感情を植え付けさせることは間違いない。
この映画は昨年の9月には早くも宣伝ポスターが作られ、今年の7月31日に全国で封切られることを大々的に告知されていた。この日の翌日の8月1日は「八・一」と呼ばれる建軍記念日であり、「こうした悪辣な日本軍をやっつけた」解放軍の偉大さを宣伝する意味があったのかも知れない。だが、なぜか7月31に封切りはなく、「後日上映」ということになった。同日、江蘇省蘇州市で新たに日本人襲撃事件が起きたことが影響したと見られる。子供と一緒にいた日本人女性が地下鉄の「星海広場」駅構内で、中国人男性に石のようなもので殴打されたのだ。女性は命に別状はないが、頭に数針縫う重傷を負った。
蘇州では、昨年6月24日にも同様事件があった。ある中国人男性が停留所で日本人学校のスクルールバスに乗り込もうとしたため、子供たちと一緒にいた中国人の女性添乗員がそれを制止しようとしてもみ合いになり、男性に刃物で刺され、死亡した。蘇州は日系企業の工場が多く、日本人も多数住んでいるだけに、同じ町での二度目の事件は衝撃的であった。中国当局は最初の事件に関しては「偶発的」と言い、日本人を対象にしたものでないと強調した。しかし、今年7月31日の事件は明らかに日本人を狙ったものと見られる。このため、「南京照相館」に加えてさらに「731」が上映されれば、同様事件の続発が懸念され、中国当局は封切りを控えたのではないかとの見方が出ている。
<外資系企業の脱出>
今、中国にとって日本を目の敵にすることが得策であるのかどうか。2023年3月にスパイ容疑で国家安全部に逮捕されたアステラス製薬の中国駐在の日本人幹部に対し、中国側は今年7月23日、3年6カ月の有期刑の判決下したことを公表した。同幹部が具体的にどういう罪を犯したのかという起訴内容は明らかにされていない。ただ、当局は「被告は罪を認めた」と言い張って、立件を正当化した。中国では「容疑事実を認めた被告には減刑もあり得る」という決まりがあり、アステラス製薬幹部は一種の“司法取引”の形でそういう態度を取ったことも考えられる。いずれにしても、この拘束、裁判は日本人駐在員に恐怖感を与えたことは否めない。
中国国家外貨管理局によれば、2024年、外資の中国への直接投資額は総計45億米ドルで、前年比で9割減と大幅な落ち込みを示した。このうち、日本からの投資実行額も前年比46%減の21億ドルと過去最低。日本の対中投資は2021年から2年連続で増加し、2022年に46億ドルとなったが、その後の2年は連続で減少した。日系のビッグ企業は近年、中国国内の工場をたたみ、タイ、ベトナム、インドなどにシフトしている。この背景には、労働賃金のアップによるコスト高、不況による国内消費の低下など純粋に経済的な側面もあるが、政治的な要因も大いに関係している。投資減少傾向は今年に入っても続いている。
中国各地の衛星テレビは、これでもかこれでもかとばかりに連日、日中戦争時の日本軍の“悪行”をテーマにしたテレビドラマを放映。さらに、今回のように「愛国映画」を制作、ことさら中国人民に反日意識を植え付けようとしている。これでは、日本人を狙った暴力事件が起きるのは不思議ではない。スパイ事件での拘束や駐在員家族への傷害事件があるので、中国に駐在希望する日本人企業マンは減っているとか。日本企業の中国離れ傾向がデフレ不況下にある中国にとって望ましいことはとても思われない。だが、中国当局はその認識が薄いようだ。
《チャイナ・スクランブル 日暮高則》前回
《チャイナ・スクランブル 日暮高則》の記事一覧
###_DCMS_SNS_TWITTER_###