朝鮮半島では、日本が統治していた20世紀前半に建てられた建造物は朝鮮戦争中の激戦によって多くが破壊され、姿を消してしまったのだが、意外なことに、北朝鮮で史跡として整備されているケースが少なくない。「日本人が造った(設計した)」というだけで歴史的な価値がないとみなされることさえある韓国と異なり、北朝鮮には、建国以来の国家主席であった金日成が若き日に利用したとされる建物を革命史跡と位置付ける独自の価値観が存在するためだ。
北朝鮮の観光巡りは、かつての最高指導者である金日成・金正日父子にゆかりのある記念碑や展示館を順番に見学して回るパターンが一般的である。その多くは、史実を後世に伝えるために戦後に建てられた記念碑的な存在であり、通常は、建造物それ自体に歴史的な価値や歳月を経て醸し出される古びた雰囲気は感じられない。
ところが、金日成が何らかの形でかかわりを持っていると認定された建造物は、できる限りその当時の姿を維持したり、近い状態に復元したりする。「日本人が造った(設計した)」かどうかより、若き日の金日成が立ち寄ったり腰掛けたり触ったりしたかどうかの方が、史跡の価値を計る指標として重要なのだ。それ自体は日本人を含む外国人にはなかなか理解しにくいかもしれないが、この指標のおかげで、日本統治時代の建造物であっても保存対象となりやすい。
日本海沿岸の港町・元山の旧鉄道駅舎前にある「東洋旅館」という古い旅館の跡も、そんな日本統治時代の面影を極力再現した史跡の一つである。日本統治時代に建てられた旧鉄道駅舎自体も史跡の一部なのだが、駅前にかつて東洋旅館という旅館があり、そこに金日成が滞在したことがあるのだという。
建物自体は日本家屋というわけではないが、漢字で「東洋旅館」と大書された看板を掲げる玄関から中に入ると、卓袱台が置かれた和室が再現されている(画像参照)。和室と言っても、ほとんどの畳はゴザを板に巻きつけたような状態で、室内の床が波打って見えるのだが、ちゃんとした畳をこの国で調達したり良好な状態で維持し続けるのはさすがに難しいのだろう。限られた条件の中で和室の雰囲気を何とか再現しようとする努力は感じられる。
旧・元山駅舎前にある東洋旅館内部の和室
ところで、戦前の元山駅前に本当に東洋旅館という宿があったのかは定かでない。当時の代表的な旅行ガイドブックである『旅程と費用概算』は、鉄道駅ごとにその駅周辺の宿の名を列挙しているが、昭和15年版を開いても元山駅のページに東洋旅館という宿は出てこないのだ。翌年以降は『旅程と費用概算』が発行されなくなってしまったため、もしかしたら戦時下にオープンした新しい宿だったのかもしれないが……。元山駅前に東洋旅館が営業していたという戦前の文献を知る方がいらっしゃったら、ぜひその文献をご教示いただきたいと思っている。
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